「5つの戦後」 宇治敏彦

 今年は戦後65年。太平洋戦争に敗戦した年に生まれた人がサラリーマンなら定年を過ぎて第2の人生に踏み出し、あと5年で古稀を迎える時期だ。
私は敗戦を疎開先の静岡県富士宮市で迎えた。8歳になる直前だった。富士宮市貴船国民学校2年生。身長107cm、体重17kg(これは通信簿に相当する「通告表」の「身体状況」欄に記録されていた)。文部省の「身体発育標準」(昭和11年)によると男子7歳の標準身長は109cm、体重は18kgとあるから、私はチビでガリの小学生だった。
敗戦の玉音放送を学校の校庭で聞いた記憶はあるが、もとより内容は分からない。ただやたらに空が高く、酷暑の日だったことは鮮明に記憶している。疎開前は横浜市立立野小学校に入学、疎開後は横須賀市立豊島国民学校、横浜市立東台小学校と転校し、小学校は4校体験した。兄は6回転校しているから戦争中の都会の子としては、それほど驚くことではないかもしれないが、転校生の宿命として友達が少ない。いまだに付き合っているのは卒業した東台小の同窓生だけで、他の3校の友達は名前すら覚えていない。
さて表題の「5つの戦後」だが、戦後という言葉には5つの意味が含まれているという意味だ。順次列記してみよう。
①、「戦後民主主義」という場合の「戦後」。この場合の「戦後」は「民主主義」と同義語である。大日本帝国憲法(旧憲法)では日本は「臣民」(天皇の民)によって構成される国家だった。それに対してGHQ主導でつくられた日本国憲法では「公民」、つまり憲法で基本的人権、自由、平等などが保障された国民国家を志向していた。戦後各地に公民館がつくられ、そこで広報活動が行われた。「広報」は当時、「公報」とも書かれた。中央官庁でも広報が重視され、記者室は大臣室に近い所に設けられた。中学校の副読本「新しい憲法のはなし」はデモクラシー(民主主義)を子どもたちに教えるのに多大な貢献をした。政治家では宮沢喜一氏(元首相)、文化人では大江健三郎氏(作家)らが「戦後民主主義」を大事にした。
②、「もはや戦後ではない」の「戦後」。この場合の戦後は「闇市経済」あるいは「貧しさ」を表現している。1956年(昭和31年)7月17日に発表された「経済白書」で使われ流行語になった。「もはや戦後ではない」とは「もはや貧しい日本ではないぞ」という気概を込めている。
③、「沖縄の祖国復帰なくして日本の戦後は終わらない」(佐藤栄作首相)の「戦後」。この場合の「戦後」は「占領状態」ないしは「半独立」を意味する。1965年(昭和40年)8月19日、戦後初めて首相として沖縄を訪問した佐藤氏が那覇空港で発表したステートメントでの言葉。同氏は沖縄返還で真の独立回復を実現することで政治上の師匠、吉田茂元首相の遺志を継ぎたいとの思いを抱いていた。
④、「戦後(政治)の総決算」という場合の「戦後」。この「戦後」とは「米国主導」ないしは「GHQ主導」を指す。「戦後総決算」という言葉を最初に使ったのは大平正芳氏(元首相)で、1971年(昭和46年)夏の大平派研修会で「日本の新世紀の開幕」と題して講演し、次のように述べた。
「わが国はいまや戦後の総決算ともいうべき転機を迎えている。これまでひたすら豊かさを求めてきたが、手にした豊かさの中には必ずしも真の幸福と生き甲斐は発見されていない。対米協調を基調として国際政治への参加を避けてきたが、ドル体制の弱化ゆえにけわしい自主外交に立ち向かわなければならなくなってきた」
次に中曽根康弘氏(元首相)が1985年(昭和60年)7月、自民党の軽井沢セミナーで講演し、防衛費1%枠、国鉄改革、靖国公式参拝などに触れ「(首相として)戦後長いこと懸案だった問題に一つ一つ区切りをつけている。21世紀に向かって国家としてのしまり、まとまりをつける屈曲点に来た。これが私のいう戦後政治の総決算である」と述べた。
同じ「総決算」でも大平氏と中曽根氏では多少ニュアンスが違うが、米国頼りでなく日本独自の判断・決断で進路を決めていこうという点では共通している。
逆に前記の宮沢氏は自民党総務会長時代の1985年(昭和60年)、「戦後の継承」を主張している。言論・結社の自由が保障されたデモクラシー社会、公的圧力に規制されない自由市場経済、定量的な歯止めを持った防衛費(1%枠や専守防衛)など吉田―池田の「軽軍備・経済重視」路線を継承していくことを意味した。
⑤、時系列的な「戦後」。今年は戦後65年といったニュートラルな時間的経過を指す。
以上5つの「戦後」がある。私は1997年に「『戦後』はそろそろ終わりにしたい」という次のような一文を書いた(チクマ秀版社「論説委員の日本分析」にも掲載)
「『終わっていない戦後』をどう処理するかは日本人の英知にかかっているが、それを早くクリアして『戦後』でも『戦前』でもない、もちろん『戦中』といった事態を招かない新時代を築くことが必要と思われる。日本は戦争の苦い経験を忘れず、しかし、いつまでも『戦後』意識にとらわれることなく新しい世紀を迎えたい」
これは21世紀の到来を前にしての感慨だったが、しかし、いまはちょっと違う。
「私の『戦後』はまだ終わっていない。むしろ最近は『終わらせてはならない』と考えるようになりました。清正さん(終戦時に自決したが生き残って官僚になった私の知り合い)もそうであったように青春時代の自決行為は、いかに国のためとはいえ苦渋の決断だったに違いありません。310万人もの日本人が犠牲になった太平洋戦争の再来など望む人がいるはずがないと信じます」(「行政&情報システム」2009年10月号「清正清氏の思い出と『戦後』)
「戦後」を簡単に終わらせてはならない。その戦後とは「5つの戦後」の中で①の戦後民主主義ということと同時に「平和」「不戦」ということである。その意味では6つ目の「戦後」概念として「平和」を追加しておくべきかもしれない。

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