総理大臣の出処進退  宇治敏彦

 またまた1年未満で「日本の顔」が変わった。「歌手は2年、総理は1年の使い捨て」と言ったのは竹下登・元首相だったが、カレンダーのように年代わりする日本の政治指導者を外国人は「日本って変な国」「これが日本的民主政治なのか」と見ているのではないだろうか。
 長年、日本政治をウオッチしてきて総理大臣の出処進退を分析してみると、トップリーダーになるために元手をかけた人ほど辞め方も未練たっぷりで、推されてなった人や2世議員などお坊ちゃんタイプの人は辞め方もあっさりしている(吉田茂元首相のような例外もあるが)。たとえば田中角栄、三木武夫、竹下登各氏などは前者だし、鈴木善幸、細川護熙、村山富市各氏などは後者である。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫氏と、ここ4代の短命政権はいずれも2世3世のお坊ちゃん政治家で堪え性がない。だから突然の辞め方に驚かされる。安倍氏の場合などは、健康状態が原因といえ首相演説を終えて、さて代表質問を受けるという直前の投げ出しだから、それなら首相演説もしないで辞任するのが国会への礼儀というものではないかと思う。
 内閣総理大臣という仕事は、やった者でなければ分からないといわれるが、日本という国家が両肩にのしかかっているのだから、眠れない夜があるのも当然だろう。鳩山由紀夫前首相が辞任する前の懇談で、「麻生氏は首相時代に『どす黒い孤独』を感じたというが」と水を向けられ、「私の場合はピンク色の孤独でしょうか。よく眠れますよ」と答えたという。強がりかもしれないが、案外、本当かもしれない。推測するに「麻生前首相だって1年やったのだから、7月の参院選をこなして、進退は選挙結果しだいで」と思っていたに違いない。退陣について奥さんを説得するのに大変だったと中井洽国家公安委員長に語っている。鳩山家は資産家だが、鳩山氏本人はお母さんから巨額の「子ども手当て」をもらっていたぐらいだから総理大臣になるために身銭を切った分の元を取り戻さなくてはという意識は薄く、むしろ夫人のほうがもっと粘れとねじを巻いていたのであろう。
 再選確実といわれた鈴木善幸首相が1982年10月、突然の退陣表明をしたとき私は首相官邸クラブ(内閣記者会)のキャップをやっていた。兜町に「首相退陣」のうわさが流れ、まさかと思ったが、本当だった。善幸さんを長く取材していながら、胸中を読みきれなかったことに忸怩たる思いがした。実はそのひと月前の鈴木訪中で同行記者団の団長を務めていた。首相夫人のさちさんと三女の千賀子さん(後に麻生元首相夫人)も随行していた。俳句を詠むさち夫人が北京に向かう機中で「女鬚そりて旅立つ萩の朝」という句を披露してくれた。女性の鬚ってそんなに濃いものなのかな、と「鬚」の一字が何か俳句にそぐわない気がしたものの、その句が首相退陣を腹中に収めたうえでの家族ぐるみの訪中を示唆していたとは気づかなかった。岸信介、福田赳夫元首相ら党内反主流が鈴木再選に反対していたとはいえ、田中派など主流派の圧倒的な支持で、あと2年は総理総裁を続けられる状況が確実だったから「党内融和のために身を引く」とは想像もできなかった。
 11月22日、首相官邸でサヨナラ・パーティーが開かれたとき、内閣記者会を代表して私は次のような送別の辞を述べた。
 「過去の総理大臣をみていると、だいたい3つの病気にかかっている。第1が“孤独病”で、夜も眠れないと言った人もいる。第2は“権力病”で、自分の都合のいい情報しか採用しない。そして第3が本当の“病気”。そのために命まで落とした総理もいた。鈴木総理は、そのどれにもかからなかった稀有の総理ではないかと思います」
 今年7月3日、西麻布の永平寺別院長谷寺で鈴木元首相の七回忌法要が行われる。
菅直人新首相は、故市川房枝さんの勝手連から始め、故江田三郎氏の社会市民連合結成に参加した市民派の政治家である。この先、菅内閣がどのくらい続くかは、参院選の結果や民主党内の小沢一郎グループとの関係などにかかっているだろう。こんなことを今からいうのは失礼になるかもしれないが、もし新内閣が大ピンチを迎えたら、権力の座に固執する田中角栄型ではなく、恐らく鈴木善幸型、村山富市型のあっさり退陣を決断するのではないだろうか。
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