中野好夫さんと沖縄  小榑雅章

菅内閣が発足した。大方の評判は良好のようだ。
だが、普天間の問題はどうするのだろう。鳩山さんの対応が拙劣だったと批判して、最低でも県外などといわなければ、すべてまるく納まったのに、という風潮が当然の如く語られているのをみると、暗澹たる思いだ。沖縄基地問題の本質をあまりにないがしろにしている。
こういう風潮を、もし中野好夫さんがいまおられたら、何と言われるだろうと、ここのところずっと思っている。
1970年の春、暮しの手帖の編集会議で、国語辞書のテストは出来ないのか、というプランが出された。電気センタク機やラーメンのテストはたびたびやるが、辞書のようなもののテストはやったことがない。難しい。編集部はシーンとなった。「やってみよう」と花森さんが言った。そして私が担当になった。
でもどうするか、まったく手がかりがない。花森さんが言った。「中野好夫さんに相談して来い」。というわけで杉並区善福寺の中野先生のもとに通い始めた。
当時、中野さんはものすごく忙しかった。評論家としても英文学者としても多忙だったが、それよりなにより、中野好夫主宰の「沖縄資料センター」に力をそそいでいた。沖縄返還が取り沙汰され、その成り行きが大きく報道されている時期である。それが問題だということは分かるが、すこしはこちらの方にも時間を割いてもらいたい。なんでそんなに沖縄沖縄なのか。あるとき、中野さんに聞いてみた。
中野さんは、一瞬、こいつは何を言っているのかといぶかしげな顔になり、私の顔をじっとみて、「きみは沖縄のことをすこしでも知っているのか」と言って、部屋から出て行ってしまった。
如何に鈍感な私でも、自分が失態したことが分った。たしかに自分は沖縄のことは何も知らない。恥ずかしくてカーッとなった。
数年前の1965年に、中野さんは新崎盛暉さんと共著で「沖縄問題二十年」という岩波新書を出していた。あわててその本を読んだ。その本の前書きに、中野さんは書いている。
「沖縄が置かれている実情について、もっとよく身近かに知らなければならない、そしてまた、われわれ自身の問題として考えなければならない、いわば義務をもっていると信じるからである。・・・」「果してわたしたち『本土』は、沖縄に対して『母なる本土』であったろうか。『母なる本土』であるとすれば、重ね重ね、ずいぶんひどい仕打ちをくりかえした母親といわなければならぬ。・・・」
「結論を先にいえば、わたしたちの立場は、あくまでも強く祖国復帰の運動を支持するということにつきる。祖国復帰という沖縄同胞の悲願と、施政権返還要求と、そして軍事基地撤去という三つの柱は、わたしたち、国際道義の前に大きく胸を張って十分主張しうる正義の道理だと信じている。・・・」
1972年5月15日に、施政権が返還され沖縄は祖国復帰した。しかし三つの柱のうちの軍事基地撤去は、38年たった今でも実現していない。
中野さんは、この後に、やはり岩波新書から、新崎盛暉さんと共著で「沖縄・70年前後」1970 「沖縄戦後史」1976 を出版されている。鳩山さんがこの本のどれかでも読んでいたら、「沖縄が置かれている実情について、もっとよく身近かに知らなければならない」という中野さんの意を体することが出来たのに。そして沖縄問題の本質を知ることが出来たのに。それを知れば、言葉だけの思いを振り回すだけではだめなこともわかっただろうに。



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