沖縄海兵隊の抑止力と有事法制 ①  小榑雅章

米軍普天間飛行場の移設先について、あれほど県外にこだわっていた鳩山前首相が、6月11日のテレビ(BS朝日)に出演し、「米国は辺野古で非常に固かった。外務省も防衛省も『最後は辺野古』でかたまっており、自分が目指した県外移転には、米国だけでなく、外務、防衛両省も非協力的だった」と明かしている。
また、日米同盟と沖縄海兵隊の「抑止力」を理由に名護市辺野古への移設を決定したが、その背中を押した有事ともいうべき事件が、まことにタイミングよく起こった北朝鮮の魚雷攻撃による韓国哨戒艦沈没だったという。軍事増強派(そういう一派がいるとすれば)や日米同盟至上派(これも同じ)にとっては、この事件は、まさに「奇禍として」起こった「有事」であった。
戦後、有事立法が問題化したのは、1978年7月19日に時の自衛隊統合幕僚会議の栗栖議長が記者会見で「もしわが国が外国からの奇襲攻撃を受けた場合自衛隊の第一線指揮官たるもの、自己の判断で超法規的行動にでることもありうる」という趣旨の発言をしたのだった。当然大騒ぎになり、栗栖議長は数日後に解任された。
暮しの手帖としてこの問題を取り上げるべきなのだが、この年の1月に花森さんは亡くなっており、誰に論じてもらおうか考えたが、結局、中野好夫さんにお願いすることになった。中野さんは、よしわかった、とすぐに応じてくれて、その原稿が同年11月25日発行の暮しの手帖(2世紀)57号に「有事立法ということについて」というタイトルで掲載された。もう30年近くも前の記事だが、中野先生の危惧は現在も全く同じなので、その一部を抜粋してみたい。
「有事などといった言い方をすれば、一見大したことに聞えるかもしれませんが、ありていにいえば『戦争』です。『非常時』です」
「これはわたしなども当時実に異様に思ったのですが、その(栗栖議長の)クビを切ったわずか二日後には、福田首相みずから防衛庁に対し有事立法と、および有事に備えての防衛研究の推進という指示を下したのでした。まことに待ってましたとでもいわんばかりの即応ぶり。右手でクビを切り、左手ではその提起問題の研究推進という、まことに奇妙鮮かな芸当でした。現にアメリカのある有力紙なども、東京特派員からの打電として、『栗栖発言と同議長解任は、(日本の保守層が意図する)防衛力強化をやりやすくするため“巧妙に練り上げられたシナリオの一部”だとの見方もある』という報道までのせるほどでした」・・・
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下って2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、動揺するアメリカ世論を背景にしてブッシュ政権は9割もの支持を得て、テロとの闘いが錦の御旗になり、イラク戦争に突入。小泉政権もいち早くイラク戦争に加担し、挙句の果てにわが国も2003年6月には武力攻撃事態法が成立してしまった。
中野さんの「まことに待ってましたとでもいわんばかりの即応ぶり」という危惧は、ここでも小泉劇場の興奮の中で、国民があれよあれよという間に有事法制が出来上がった。憲法上疑義があるというこの有事法制には民主党も賛成していることを忘れてはならない。
(この項つづく)
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