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鈴木善幸元首相の七回忌   宇治敏彦

 「善幸さん」と親しまれた鈴木善幸元首相の七回忌が参院選挙中の7月3日、東京・西麻布の永平寺別院長谷寺で行われた。寺の構えはそんなに豪華ではないが、読経に20人の僧侶が登場する壮大な法要だった。目を悪くしているさち夫人は欠席だったが、麻生太郎元首相夫妻、鈴木俊一元環境大臣夫妻など親戚縁者をはじめ多くの関係者が参列した。法要後に高輪のホテルで偲ぶ会が開かれた。長男の俊一氏によれば「病気をしなければ百歳まで生きたと思う」という。善幸さんは1911年1月11日生まれだから来年が生誕100年になる。2004年になくなったときが93歳だが、さち夫人が今93歳とのことだからご夫妻とも長命の家系といえよう。
 偲ぶ会で鈴木首相時代の秘書官の一人だった谷野作太郎氏(元中国大使)が鈴木退陣の際の秘話を披露した。日中正常化10年にあたった1982年、訪中した鈴木首相は帰国後、再選確実といわれた自民党総裁選への不出馬を突然表明した。同年10月10日の体育の日、秘書官たちと千葉の習志野カントリークラブでゴルフした鈴木首相は、総裁秘書で総理あいさつ文の草案を担当していた安田正治氏と二人で経堂の自宅へ帰っていった。総理秘書官は毎日当番制で当日は谷野氏の担当だった。「ご自宅まで私も一緒に」という同氏を首席秘書官で長年、善幸さんに仕えている財津昭吾氏が「谷野さん、もうハーフやりましょう。経堂への送りは安さんに任せて」と押しとどめた。谷野氏は「万歳」と喜んだが、実は経堂へお供した安田氏は「退陣するから、その所感をまとめてほしい」と善幸さんに言われて跳びあがらんばかり驚いたという。翌日、財津氏から「退陣」と聞いて谷野氏ら秘書官一同もびっくり仰天した。そのとき総理に呼ばれた宮沢喜一官房長官も「深刻な顔をして総理執務室から出てきた。恐らく鈴木総理は宮沢官房長官にも事前に相談されなかったのではないか」(谷野氏)という。
 内閣総理大臣(自民党総裁)を続けようとすれば出来たのに「党内融和」を理由に身を退く決意をしたところが善幸さんの凄いところだ。谷野氏は当時のマンスフィールド駐日米大使が「権力に執着する政治家は多いが、鈴木総理の場合は権力の側が鈴木氏を求めた珍しいケース」と賞賛した話を披露してスピーチを締めくくった。
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