靖国神社になぜ行かなくなったのか  小榑雅章

7月25日の日曜日に、皇居北の丸の科学技術館で日本心理学会主催の公開シンポジウムがあるので、出かけていった。
九段下で地下鉄を下り、地上へ出ると、すぐ右手に靖国神社が見える。参道の大きな鳥居を眺めるのも、何年ぶり、いや何十年ぶりかだ。
かつて、年に何回もこの鳥居の下をくぐったものである。
私の父は、昭和18年の秋に召集され、満州からフィリピンに転戦し、レイテで戦っていた。昭和20年、戦争が終って多くの復員兵が戻ってくるのに、父は帰ってこなかった。しばらくして戻ってきたのは、遺骨箱だった。
その箱を振ってみるとカラカラと音がした。開けてみると、陸軍伍長と階級が記されその下に父の姓名が書かれた白木が1枚、ただそれだけが入っていた。遺骨も遺品もなかった。
なんだこれ、ただの箱じゃないかと思ったが、そのただの箱をかき抱くようにして、母は泣いていた。
それからの母は、小学生だった私たちこどもを連れて、毎月のように靖国神社へお参りに出かけた。そして、お参りのたびに「お父さんはここにいるのですよ」と言った。
私たちも素直に頭を下げた。父に会いに靖国に行くのは、きわめてあたり前の行事だった。その母が、ぴたっと靖国に行かなくなった。私たち子どものほうが、なぜ靖国神社に行かないのか、と催促したが、どうしても行くことはなかった。
そして私たちにも、もう行くことはない、あんなところには行くことはない、と強く参拝することをいさめた。
そして口ごもりながら、とつとつと語った。
お父さんは、伍長といっても終戦時特別昇級したおまけの伍長だから戦死したときは陸軍上等兵。一銭五厘の赤紙1枚で戦地に連れて行かれた一兵卒。そういうお父さんの一銭五厘の兵隊仲間の集まりに呼ばれて行ったときに、みんなにこんなことを聞かされた。
「兵隊は、本当に苦労をした。つらかったのは、兵隊だよ。われわれみんなにあんなつらい思いをさせた張本人の司令官たちが、靖国神社に祀られたよ。同じ部隊で生き残ったのは、せいぜい2割だが、敵の弾に当たって死んだんじゃない。殆どは飢えとマラリアだ。われわれを殺したのは敵じゃなくて、こんな戦争を始めた連中や無茶苦茶な突撃を指揮した将軍や将校たちではないのか。そんな連中が偉そうに祀られる靖国というのは、どう考えたっておかしくないか。聞けば、靖国では、大将は大将、中尉は中尉の階級がついて祀られるそうだ。上等兵はでも死んでも上等兵のままだ。靖国に行けばみんな神になる、みんな同じ神なら平等じゃないのかい。俺たち兵隊をあんな目にあわしたあの司令官が靖国でも上のほうでえらそうにしてるところなんて、行くところじゃない。死んだ後まであいつらにこきつかわれるなんて、戦地で死んだ連中たちは気の毒だよ」
母はそれを聞いて、もっともだと思ったと言う。お父さんを靖国から助け出してやりたいと思って、靖国神社に聞きに行ったそうだ。もちろんにべもなく「そんなことは出来ない」と言われた。
「恩給も階級でえらい違うんだよ。階級の上のほうほど戦争の責任は重いはずなのに、なんで悪いやつのほうが恩給をたくさんもらえるんだろうね。靖国も恩給も悪いやつの味方なのかね」
母の話を聞いて以来、私も靖国神社には行っていない。



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