宇治敏彦新著「版画でたどる万葉さんぽ」   小榑雅章

万葉さんぽ

宇治敏彦著「版画でたどる万葉さんぽ」新評論刊(定価1800円+税)

 埴輪の同人宇治敏彦さんが、新しく本を出しました。
「版画でたどる 万葉さんぽ」という本です。このブログには、宇治さんの「宇治美術館」があるので、みなさんもご存じのとおり、版画の名人です。同時に万葉集にも通じる達人でもあります。
この本は、カラーの版画がふんだんに掲載されている、楽しい美しい本です。でもおなじ同人が誉めても説得力がありません。
この本の巻頭で、平安文学の泰斗で、日本語の最も著名な国語学者の山口仲美先生が、この本がユニークで如何に素晴らしいかを寄せてくださっているので、それを転載させていただきます。このすいせん文を読むと、きっと誰もが、この「版画でたどる 万葉さんぽ」という本を読みたくなりますよ。

癒しの本版画――すいせん文にかえて  山口仲美(日本語学者、埼玉大学名誉教授)
エピソード入りの文章
宇治さんと知り合ったのは、今から二〇年余り前のこと。日本語の現在・未来をどうするかということを審議する国語審議会(当時)という行政機関の会議の席でした。宇治さんは東京新聞の論説主幹。「日本語」に対する考え方が似ていたので、ときどき会話を交わすようになりました。
あるとき、宇治さんはモゴモゴと言いました。
「僕は、仕事の合間に版画を彫っています。今度個展を開きますので、よかつたら見に来てください。」
絵が好きな私は、興味津々で出かけました。銀座の画廊でした。そのときにふと漏らした私の感想がこの本のなかに出てきたので、思わず赤面してしまいました。詳しくは、本文でお楽しみください。
こんなふうに、この本は、版画にまつわるエピソードが挿入されています。エピソードには、版画を通して出会った政界人・経済人をはじめ、作家や住職といったさまざまな人物が登場し、それもこの本の魅力になっています。もちろん、エピソードのほかに、この本の主題である万葉集の歌の意味、作者をめぐる人間模様、詠まれた場所などが分かりやすく、親しみやすく記されています。だから、スルスルと引き込まれ、サラサラと最後まで読んでしまいます。

素朴な書体でかかれた歌
さて、この本の一番の特色は、万葉集の歌と絵の版面です。まず、歌は素朴で味わいのある楷書体で彫られています。流れるような行書体や草書体ではなく、「益荒男振」と言われる万葉集の作風にもビシッと合っている楷書体。しかも、歌を記す文字が、何よりも大切に取り扱われています。
歌が絵に邪魔されて、読めないなんてことはありません。たとえば、「夕されば 小倉の山に臥す鹿の 今夜は嗚かず 寝ねにけらしも」という万葉集の歌があります。顔を寄せて愛しく思い合う二頭の鹿の絵の上に、この歌が彫られています。しかも、歌の句と句の間には行間を感じさせる空間をつくって、読みやすくする工夫がなされています。読みやすい書体、歌を前面に押し出した構図には、宇治さんの強いメッセージを感じます。「万葉集の歌をじっくり味わってくださいよ!」というメッセージです。宇治さんの万葉集の歌への愛が伝わってきます。

歌の雰囲気をかもしだす絵
歌に添えられている絵が、また楽しいんですね。歌の持つ雰囲気をうまく伝えてくる。
来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じといふものを
これは、女流歌人・大伴坂上郎女の茶目っ気あふれる歌。「あなたは、来るつもりと言っても、来ない時があるでしょ。まして、来ないつもりと言うんですから、来ると思って待つことなんてしないわ。来ないつもりって言うんですから」という意味です。ホントは来てほしいから、こんな茶化した歌を詠んで贈っているのです。
この歌に描かれた絵は何だと思います? いかにもすっとぼけた埴輪の版画なんです。「ちちんぷいぷい、どうか来てくれますように」なんて、ユーモラスに祈っている姿に見える立ち姿の埴輪です。歌に対する宇治さんの解釈が絵に投影されているのですが、それが誠に余裕とユーモアにあふれていて、見る人の心を癒してくれます。
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後に 額つくがごと
という笠女郎の片思いの歌があります。「私を思ってもくれない人のことを思うなんて、大寺の餓鬼像の後ろから地にひれ伏して拝むようなものよ」という破れかぶれの面白さのある歌です。この歌に添えられた絵は何か? 西大寺の邪鬼像をモデルにしたような餓鬼が描かれているのですが、奇妙なおかしさがにじみ出ている版画となっています。餓鬼にしては太りすぎている。餓魂の顔にしては怖くない。「俺って、そんなにダメ?」って情なさそうに問いかけてくる間抜け面です。歌のもつ、投げ出したようなおどけた雰囲気が見事にとらえられているのです。
明るさで歌を包み込む絵もあります。天智天皇が、妻の額田王や彼女の元の夫・大海人皇子を含んだ一行を引き連れて、薬草狩りのために蒲生野に行楽したときのこと。額田王は、元の夫が「愛しているよ」とばかりに袖を振るのを見て、「禁野の番人が見るわ、あなたが袖を振っているのを」といった内容の歌を詠みます。すると、元の夫は答えます、「人妻だと知りながらも袖を振るのは、美しい君が忘れられないからさ」といった内容の歌を。かなりきわどい内容の歌の贈答ですが、天智天皇の前で二人は堂々と詠んでいます。こうした内容の贈答歌にどんな絵柄を添えるか? ひらけた野原に鳥が飛び、地面にはたくさんの薬草が生えている。空には太陽が描かれ、地上にさんさんと光をふり注いでいる。画面の手前には元の夫の振っている片袖が大きく描かれている。こんな絵を添えているのです。なんとものどかで明るい光景。今の夫の前でも、私たちは恥ずかしくない清い関係ですといった歌の雰囲気を巧みにとらえた絵柄なのです。だからこそ、二人のきわどい贈答歌は、肯定され一層明るい輝きをはなって読者の心に訴えてきます。

歌と絵の融合
宇治さんの木版画は、歌と一緒に味わったときにもっとも効果を発揮します。たとえば、表情。宇治さんの彫った人物や動物たちの表情は、いくつかの解釈を許す幅の広さをもっています。ところが、じっと見ているうちに、「この馬、すごく困っている!」と特定の表情を強く感じはじめるのです。そこに書かれた歌の意味が作用してくるからです。
「柵越しに麦を食べてしまう馬が飼い主にひどく叱られるように、僕も彼女の親にすごく罵られるけれど、困ったなあ、僕は彼女が恋しくてたまらないんだもん」といった内容の歌とともに示された馬は、困惑の表情を鮮明に表しはじめるのです。
歌と絵が融合して互いを生かし合って幸せな関係を築いているのが、宇治さんの版画絵です。それは、見る者に深い癒しを与えてくれます。       二〇一六年三月三日記す




花森さんだったら、こう言うだろう「三菱自動車は悪い。しかし国はもっと悪い」   小榑雅章

三菱自動車は5月18日、燃費データ偽装の責任を取り、相川哲郎社長と中尾龍吾副社長が6月24日に辞任すると発表した。
三菱自動車は1月ほど前の4月20日に、国が定めた「惰行法」と呼ばれる測定方法を使わなかったというのだ。軽自動車の燃費テストで、燃費性能を故意に改ざんし、燃費を実態より良く見せていたと発表し、大騒ぎになっていた。開発段階から実際に車を走らせて得た実測値を使用せず、燃費が有利になる推定値を繰り返し使って燃費の目標を達成したと見なし、開発を続けていたことが分かった。
国土交通省は、実態解明を進めるため、三菱自動車本社に立ち入り検査を行う、と発表した。

新聞もテレビも、このニュースを当たり前のように報道しているが、なにかおかしくないか。
三菱自動車は悪い。当然だ。このままでは倒産もありうるというので、日産に救済合併してもらい、なんとか命脈を永らえている。社長も辞任するというのも、当然だろう。
だが、肝心なことが論じられていない。
国の責任だ。
国が定めた「惰行法」と呼ばれる測定方法を使わなかったから、わるいというのだ。三菱は、勝手に自分に都合のいいようにデータを改ざんした。自動車の燃費テストは、そんないい加減なものなのか。国は、テストの方法を規定し、実際のテストは各社の勝手に任せている。国はその結果をただ鵜呑みにして、承認しているというのは、そりゃなんだ。全くの性善説で、メーカーの言ってくることはすべて正しいと信じているだけではないか。
そして、この期に及んで、さも正義の味方みたいに、国土交通省は「実態解明を進めるため、三菱自動車本社に立ち入り検査を行う」というのだ。冗談ではない。国土交通省こそ、この不祥事の元凶であり、共同責任者だということを、新聞もマスコミももっと追究しなければならない。
いま、朝ドラの「とと姉ちゃん」は、暮しの手帖の創設者の一人、大橋鎭子さんがモデルだが、その暮しの手帖は商品テストで有名だ。東芝や日立や三菱、松下(ナショナル)などの洗濯機や冷蔵庫や掃除機の品質テストを毎号のように行い、その結果を誌上で実名あげて発表した。
消費者は、その結果を見てから購入銘柄を決めたので、メーカーは戦々恐々だった。
暮しの手帖のテストは、厳正だった。
第一に、テストする製品は、メーカーから提供されたものではない。全部自前で複数購入する。しかも、ディスカウントされた商品は買わない。正規のねだんで、販売店も1か所でなく数か所にわけて購入する。メーカーに、それはたまたま欠陥だったなどと、などと言われないためである。
テストは、すべて自分たち暮しの手帖のテスターが行う。メーカには一切無関係でテストする。あくまで客観的に公正な評価が必要だからだ。
しかもテストは、実際に即して行う。たとえば、ベビーカーのテストは、ランニングマシンのように動くベルトの上に置いて何キロ動かした、などというテストはしない。じっさいの道は、平らなベルトのような道ではない。アスファルトともあれば砂利道もある、平らな道も坂道も段差もある。いろいろな道を100キロ実際に押した。そうしたら、実にあちこち壊れた。平らなベルトの道を動かしても、こういうことは何も起こらない。洗濯機は、洗濯物を実際にセンタクして、布の傷み具合や汚れの落ち方を調べるのだ。トースターのテストでは、もちろん本物のパンを焼く。99号ではじっさいに四万三千八八枚ものパンを焼いてテストした。
どの場合も、メーカーとはまったく関係なく、暮しの手帖が独自に行う。
それが商品テストというものだ。
ところが、今回の国の燃費テストというのは何だ。
国はテストの方法だけを決めて、あとはメーカーが勝手にテストし、自分が勝手に都合のいい数字を作り、その数値を報告する。国はハイそうですか、と受理するだけだ。
こんなアホなことで、国は、自動車の性能を保証しているというのか。メーカーの言うことはすべて正しいと、思っているのか。そんなおめでたいことで、国民を、消費者を守っていると言えるのか。
暮しの手帖編集長の花森安治さんは、企業と商品テストについて、つぎのように言っている。
「ものを作ったり売ったりするのは、けっして慈善事業でもなければ、趣味道楽でもない。はっきりいってゼニをもうけるためである。私たちの暮しに役に立とうと立つまいと、売れるものなら何でも売るし、売れそうにないものでさえ、無理やりに売ってしまいもする、それで当りまえである。」
その上で「<商品テスト>は、はっきり商品名をあげて、よしあしを公表する。もし、そのテストが信頼されていたら、よいと判定された商品は売れるし、おすすめできないと言われた商品は、売れなくなる。/メーカーに主義主張はない。売れるものを作るだけである。よい商品を作れば売れる、となれば、一生けんめいよい商品を作る」(暮しの手帖100号1969年4月)
企業というのは、ゼニをもうけるためにものをつくっているのである。慈善事業でもなければ、趣味道楽でもないのだ。それを、性善説だ、企業はウソなどつかない、と床の間に構えていて、いうとおりにしないのが悪い、とお殿様のようにのたまわっているのだから、そんなおめでたいお殿様に税金で月給を払う必要はないのだ。無駄銭だ。
新聞にも、マスコミにも、なにが問題なのか、何が本当に悪いのかを見抜く力がないのか。
三菱自動車はもちろん悪いが、そんな三菱を自由にやらせている国の方がもっと悪いということを追及してくれなければ、ジャーナリストだとは言えない。


国を守るとは、何を守るのか   小榑雅章

今日は、憲法記念日です。
新聞もテレビも、この日前後には、憲法問題を特集しています。
そういう日だから、逆に憲法については発言したくないのですが、今年は選挙の争点にもなりそうだし、安倍政権のあまりのひどさに、やはり黙っていられなくなりました。
私の言いたいのは、きわめて単純です。
むずかしいことを考えると本質が見えなくなります。
一番単純なこと、「もう絶対に戦争はしてはだめだ」ということです。
憲法9条は、二度と戦争はイヤだ、という国民の痛切な思いからつくられたのです。たくさんの人の生命と汗と涙の上に、やっと獲得したものなのです。
アメリカから押し付けられたとか、自主憲法ではないからとか、アホなことを言っている向きもあるようですが、その人たちはあの戦争がどれほどひどい苦しいつらい結果をもたらしたか、知っているのですか。
私の父親は、一兵卒として36歳で召集され、昭和20年7月1日にフィリピンで戦死しました。
<お国のために><お国を守るために>戦った名誉の戦死だ、誇らしいことだと言われました。
なにが名誉の戦死だ、36歳のロートルまで戦場に駆り立て戦死をさせ、女房と4人の子供を路頭に迷ませて、飢えさせ、寒さに震えさせて、何が誇りなんだ。
その<お国のために>というのは、なんですか。
<お国を守るために>というのは、何を守るのですか。
日本の国土のことですか。
日本国民のことですか。
日本の国民や国土のことだったら、戦争はそれをめちゃくちゃにしてしまったではないですか。
沖縄は文字通り全島が戦場になり、約10万人もの住民が亡くなりました。
東京も大阪も名古屋も、日本中の主だった都市には米軍の飛行機が襲来し、膨大な数の焼夷弾を落としていきました。焼夷弾は、燃えやすい油などが詰まっていて落下すると一瞬にして燃え上がって飛び散り、多くの家屋などを焼き、人々を殺傷させました。
戦闘員でもない日本のふつうの国民が空襲のために、全国で後50万人とも100万人ともいう人が、亡くなりました。3月10日の東京大空襲でわが家も焼かれましたが、この空襲で約10万人も死にました。
お国のため、国を守るために、というのは、国民の生命や財産を守るためではなく、それを犠牲にして何をまもるのですか。お国のためというその国とは何ですか。国民ではないのですか。
戦前は、国体護持、つまり天皇制を守る、そのために、醜の御楯(天皇のために自分を犠牲にしてもお守りする)となるのだ、と言われました。(今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは-万葉集4373)
そして、日本は敗戦し、国民の多くの生命が犠牲になり、町は破壊されました。
国は天皇のものではなく、国民みんなのものだ、何よりも国民を大切にする国家でなければならない、それを実現するための憲法が、いまの日本国憲法なのです。改めて言います。まさに国民の生命と汗と涙の上に、やっと獲得したものなのです。
念のために、日本国憲法の三つの基本原則をおさらいします。
第一に、国民主権→天皇は象徴であり、主権は国民にある。
第2に、基本的人権の尊重→この権利は最大限に尊重される必要があり、侵すことのできない永久の権利。
第3に、平和主義→「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めている。
中学校でも習うような憲法の基本を、いま改めて持ち出したのは、この3原則が脅かされようとしているのです。安倍内閣は、憲法改正を選挙の争点だと言っています。
あの、太平洋戦争の多大な国民の犠牲や甚大な国土の破壊の反省の上に、やっと獲得したこの3原則を、私たちは失おうとしているのです。
また戦争をするような国になってもいいのですか。
二度と戦争をしないという、不戦の誓いは、もうなかったことにするのですか。
今日の憲法の日などを云々するよりも、大事なのは6月の参議院選挙だと強く思っています。


中国や北朝鮮が攻めて来たらどうするのか?  小榑雅章

4月3日に掲載した「トランプ氏の発言は、正直だ」の記事に対し、「では、お前は、どうしたらいいと思っているのか、日米安保がなくなったら、日本もアメリカに頼らず、もっと軍備を増強すべし、ということなのか?」と、問われている。
北朝鮮が攻めて来たらどうする。どうやって国を守るのだ。
日本がターゲットになって、ミサイルが飛んでくるかもしれない。どうする。
中国が、尖閣列島を武力で奪い取るかもしれない。どうする。国を守らなければならん。
北朝鮮が核武装するのだったら、日本も国を守るために核兵器をもつべきではないか。
こんな議論が、大真面目に論じられるようになっている。
少し前までは、タブー視されていたことや、ささやき声で語られていたことが、表舞台で、識者と言われるもっともらしい面々が、大声で論じている。
なんだこりゃ。日本はいつの間にか、あの大東亜戦争の時代の戻ったのか。
先の戦争の結果、日本はどんな惨状になったのか、もう忘れたのか。たった70年前の悲劇を思い出さないのか。
75年前に、日本は米国や中国はじめ多くの国と戦争を始めた。海外に侵攻し、多大な迷惑をかけた。そしてわが国の230万人もの男たちは戦死をした。戦いは海外だけでなく、日本中が米軍の飛行機から落とされた焼夷弾や原子爆弾によって、270万戸もの家々が焼かれ、女や子供も含む80万人ともいわれる人々が死亡し、1千万人もの民間人が被災した。そして日本は戦争に負けた。
なんで、こんな目に合わなければならなかったのか。
すべては、「お国のため」「お国を守るため」だった。「お国のため」に死に、「お国のため」に家を焼かれ、「お国のため」に飢えた。
もうこんなバカな戦争は止めよう、もう国民の暮しを破壊するような戦争は、金輪際しないぞ、と決意した。あの戦争に負けた時に、みんなそう思った。
もう、あの決意は忘れたのか。また「お国のため」「お国を守るため」に戦うのか。そしてまた、国民が死に、国民が焼かれるのか。
その守るべき「お国」とは何なんだ。お国とは国民のことではないのか。国民が犠牲になって、守るべき「お国」とは何なんだ。
あえて問いたい。戦争とは殺し合いだ。戦争をして、何百万何千万の国民を殺し、断固死守するという「お国」とは何なんだ。


トランプ氏の発言は、正直だ   小榑雅章

アメリカの大統領選の共和党候補ドナルド・トランプ氏が、「日本での米軍の駐留経費負担を大幅に増額しない場合は撤退させる」「日本や韓国による核兵器の保有を容認する」と表明。日米安保条約については、「米国が攻撃されても日本は何もしない。日本が攻撃されれば米国は全力で駆けつけねばならず、片務的だ」「日米安保条約は再交渉すべきだ」と主張している。
これを受けて、日本の中でも、あわてふためいていろいろな意見が出されている。
「安保法制に反対なんかするから、アメリカが怒るんだ、反対なんかするな、国益を損なうではないか」
「アメリカに逃げられたら大変だ、日本だけでは中国に対抗できない。もっと予算を組んで、アメリカに駐留してもらい、守ってもらわなければならない」
「どだい、アメリカは占領軍だ、この際、アメリカ軍は出て行ってもらって、強い本当の日本軍をつくるべきだ」
このような発言の主は、中国や北朝鮮が日本を攻めてきたら、それをアメリカが守って戦ってくれる、と本気で思っているのだろうか。
アメリカにとって、日本は他国よりも大切な国だと、勝手に思い込んでいるのではないか。思い上がるのもほどほどにしたほうがいい。
その意味で、トランプ氏は、正直だ。
1953年に、竹島を韓国が武力行使によって占拠したが、米軍は何もしなかったし、いまもしない。
1957年、ソ連国境警備隊は歯舞諸島に上陸、それ以降実効支配をしているが、アメリカは何もしていない。
念のために言うが、竹島も歯舞も、日本の固有領土だと政府は宣言しているのだ。
1951年9月8日に署名された旧日米安保条約には、「駐留アメリカ軍は、極東アジアの安全に寄与するほか、直接の武力侵攻」にも援助すると明記されているにもかかわらず、ソ連や韓国の武力侵攻に対し、何もしなかった。
アメリカは、火種を拾って、火の粉を浴びるようなことはしないのである。当然のことだ。
翻って現今、アメリカにとって、中国は日本よりはるかに重要な国であり、絶対に戦争をしたくない国になっている。
まず経済関係で、米中間の貿易額が、1979年に25億米ドルだったのが、2013年には5000億米ドルを越えている。200倍だ。いまや米中はお互いに欠かせない経済のパートナーであり、米国にとって中国は最大の輸入相手国、中国にとって米国は最大の輸出相手国である。
また戦争相手としたら、核武装をし、巨大な軍備を持ち、広大な国土の中国を相手にしたら、アメリカは負けないまでも疲弊し消耗して、政権はもたない。
アメリカは、自国が攻撃されたのならいざ知らず、遠いアジアの強大な国家と戦うというのか。中東で失敗したアメリカは、もう戦争は絶対にしたくないのだ。
ついこの間の3月29日に、安全保障関連法が施行したが、これでアメリカは日本を守ってくれるという期待過剰な妄想から、目を覚ましたほうがいい。
トランプ氏は、本音を言っているのである。


NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」と暮しの手帖、花森さん、鎭子さん  小榑雅章

今日3月21日、北朝鮮が、ミサイルかロケット弾とみられる5発を日本海に向けて発射し、大騒ぎになっている。
中谷防衛大臣は、「北朝鮮は、今月に入って弾道ミサイルの発射を繰り返しており、現在の朝鮮半島の情勢を踏まえれば、さらなる挑発行動に出ることも否定できない。情報収集や分析、警戒監視を継続していく」と述べた。
先の18日には、すでに、北朝鮮が弾道ミサイルの発射を繰り返す可能性があるとして、政府が破壊措置命令を出し、東京・市ヶ谷の防衛省には、航空自衛隊の迎撃ミサイル、PAC3の発射機などを配備、万が一の場合に備えることになっている、と報道されている。
たいへんな事態が迫っているが、それに対し、政府は万全の態勢を取っているから、国民は安心せよ、ということだ。
さすが、安倍政府。頼りになる。
また、安倍晋三首相は同じ今日、防衛大学校の卒業式の訓示で、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射を繰り返していることについて「重大な脅威であり断じて容認できない」と非難。南西地域での領空・領海侵犯の増大など、日本を取り巻く安全保障環境の悪化を挙げ「子や孫の世代に平和な日本を引き渡すため強固な基盤を築く。そのことを考え抜いた末の結論が平和安全法制だ」と述べ、安保関連法整備の意義を改めて強調した。(毎日新聞)
という。
いま我が国は、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射、南西地域での領空・領海侵犯の増大など重大な脅威にさらされており、安全保障環境は悪化し、安保関連法整備が重要だといわれると、「そりゃ、えらいことだ、よろしく頼む」と国民は思ってしまう。
        ***
話はぜんぜん違うが、4月4日から、NHKの新しい朝ドラが始まる。タイトルは「とと姉ちゃん」。暮しの手帖の創業者、大橋鎭子さんの伝記が下敷きのドラマで、「とと姉ちゃん」の「とと」は父親のこと、早くに亡くなった父親の代りに、母親と二人の妹を幸せにするためにがんばる「お父さんみたいな姉ちゃん」という意味である。
当然、暮しの手帖社が舞台になり、鎭子さんとともに花森安治編集長も主人公だ。
私も請われて、このドラマ制作に協力をしているが、ここで描かれる花森さん(ドラマでは花山伊佐次=唐沢寿明さん)がどのように演じられるのか、正直はらはらしている。

花森さんは、戦後すぐの昭和23年に暮しの手帖を創刊しているが、その時に「この国の人々の暮しを少しでもよくするための雑誌をつくる」「あのバカな戦争を、国民は正しい戦争だとだまされて戦わされ、たくさんの人が死んでいった。もうだまされない国民にならなければならない。そのための雑誌をつくる」「それが暮しの手帖だ」と創刊し、発言し続けた。
花森さんは、昭和23年から、亡くなった昭和53年までの30年間に152冊の暮しの手帖を創っているが、そのすべての号には、この創刊の思いが込められている。
国は、最初から国民をだましつづけた。戦争といわず事変と言いくるめ、大東亜共栄圏建設とかアジア植民地の解放にための聖戦であり、正義の戦いだとだまし続けた。連戦連勝と叫び続け、敗北を転進、全滅を玉砕、そして最後の最後も「敗戦」といわずに「終戦」と言いくるめた。
そのために数百万の男たちが戦場で死に、国土を焦土と化し家を焼かれて、無辜の市民が100万人もなくなった。
国民はだまされ続けた。もうだまされないぞ。
文頭に引用した、今日、3月21日の、安倍首相や中田の防衛大臣の言を、もう一度読み直してもらいたい。
北朝鮮の弾道ミサイルが本気で飛んでくるのか。それがまるでありうるかのように「破壊措置命令を出し、東京・市ヶ谷の防衛省には、航空自衛隊の迎撃ミサイル、PAC3の発射機などを配備」とはなんだ。「南西地域での領空・領海侵犯の増大など重大な脅威にさらされており」と煽り立てているが、どこにどれだけ、誰に対し、どれほどの重大な脅威が生じているのか、そのためにどれほどの安全保障環境は悪化しているのか」きちんと教えてほしい。ただただ脅威を煽り立て、国民を不安にさせて、安保関連法整備が重要だと思いこませようとしているとしか思えない。
われわれは本当に騙されていないか、立ち止まって考えてみる必要があるのではないか。国民はだまされ続けた。もうだまされないぞ。
花森さんが、いまペンを握っていたら、間違いなく発言しているはずだ。


4年に1度の今日2月29日は暮しの手帖の大切な日 小榑雅章

今日2月29日は、4年に1度のうるう日である。
その4年に1度回ってくるこの日は、暮しの手帖社にとって、忘れられない記念日なのだ。
勝利の記念日である。

暮しの手帖1世紀87号で「〈火事〉をテストする」という記事を発表した。
実際の一戸建ての家を実験場にして、いろいろな火災を起こして、どんなふうに燃えてゆくのか、どう消したらいいのかの実験を行ったのである。
たとえば、火の入ったフライパンを床に落としたら、どのように火は燃え広がってゆくのか、それを消火するにはどうしたらいいのか、というテストだ。他にもいろんなケースを行ったが、その中の一つに、石油ストーブが倒れた時に、板の間の場合、タタミの場合、じゅうたんの場合などの燃え方を調べた。石油ストーブが火になるというのは、つまり灯油が燃えるのである。その結果、板の間の場合、油が燃え広がって一番危なく、タタミやじゅうたんの床は、油を吸い込むので、燃え広がらないことが分かった。つまり板の間に石油ストーブを置くのなら、下にじゅうたんを敷きなさいという結論が出た。
同時に、石油ストーブから火が出た場合は、油に水は禁物という常識とは違って、水をざあっとかければ確実に消えることが分かった、と発表した。私もこの火事のテストの担当であり、毎日、東京の三鷹にある自治省消防研究所に通って実験を行った。
折から世の中では、石油ストーブがブームになって、毎年10%近く普及率が上がり、この年には63%もの家庭で、暖房用に石油ストーブが使われるようになっていた。
それにつれて、石油ストーブによる火災も増大していた。87号の「石油ストーブの火には水が有効」という情報を、より広く伝えるために、翌年2月発行の93号で、再び「もし石油ストーブから火がでたとき、どうしたらよいか」に限って、再び60回もテストを繰り返し行なった。その結論は、万一石油ストーブが倒れたら「とにかく引き起こすこと、どうしても引きおこせないと見たら、すぐバケツ一杯の水をかけること」と発表した。60回の実験で、100%水で消火できた結果の発表だった。
これに対し、東京消防庁は「まず毛布をかぶせて炎をおさえる。そのあと水をかける」と指導していたので、暮しの手帖の結論に「素人が何を言うか、ケシカラン」と怒り出した。
これが新聞に取り上げられ、「燃えさかる‟水かけ論争“石油ストーブから火が出たら まずバケツか毛布か、実験派暮しの手帖対経験派東京消防庁」という大きな記事になった(朝日新聞43.2.7)。他のマスコミもいっせいに「水かけ論争」として取り上げたので、自治省消防庁が公開実験を行うことになった。
公開実験は2月21日22日に行われ、2月29日に結果が発表された。新聞は、大きな見出し「効果あるバケツ/石油ストーブ‟水かけ論争”軍配は「暮しの手帖」優勢」と報道した。その日のNHKニュースは、つぎのように伝えた。
NHKニュース 
 水をかける方が効果があることが、消防庁の実験で分かりました。これは石油ストーブが倒れて火が出た場合、バケツに一、二杯の水をかければ消すことが出来るという雑誌暮しの手帖社と水より毛布をかぶせる方が先という消防関係者の間で意見が分かれたため、消防庁が今月の21日と22日の2日間、東京三鷹の消防研究所で公開実験をして、今日その結果を公表したものです。
 実験は、火のついた石油ストーブを29回倒して水と毛布とどちらが消火に効果を上げるかをしらべ、これとともにモデルハウスの床を畳ばりにした場合とリノリウムばりにした場合とでは、消火にどのくらいの違いがあるかについてもしらべました。
 その結果、まず水による場合は、炎が1m30cmの高さになるまでにバケツ一杯の水を石油ストーブの芯をめがけて一挙にかければ充分に消える。しかし毛布の場合には、炎の高さが一mを越え、広がりは直径60cm以上になると、火の勢いを抑えることが出来ても、完全に消し止めることは難しく、石油ストーブが倒れて火が出た時には、まず水をかけることが消火の上で効き目があることがわかりました。
また床の材質をみますと、タタミではストーブから漏れた油がタタミに染み込みなかなか広がらず、石油ストーブの置き場所はリノリウムよりタタミの部屋のほうが安全であることが確かめられました。
 消防庁では、この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く、石油ストーブはせきるだけ畳の上に置く、リノリウムや板張りの部屋で使う場合必ずじゅうたんを敷くようにすることなどを一般に呼びかけることになりました。
「この実験の結果によって石油ストーブのそばには必ず、水を満たしたバケツを置く」というこの消防庁の結論のニュースを、花森さんをはじめ編集部みんなで聞いた。
このとき、花森さんは、つぎのように語った。
人生というものは捨てたもんじゃない、ちゃんとやっていれば、いつかそれは報いられる。
こんな幸福なことはない。そういう意味で、ぼくとしても今日は非常に記念すべきで、4年に1回しか来ないのが幸いだよ。ぼくは4年ごとに、この日はどんなに忙しくても、この日は盛大に祝うと同時に、そしてやはりちゃんとしたことをしようと、反省する日にしたいな。------
花森さんが逝って、38年になる。今日の記念日、花森さんの墓前でともに祝った。
君らは、ちゃんと自省してるか?という花森さんの声が聞こえてくるような気がして、首をすくめた。


北朝鮮への独自制裁策と安倍政権の情報操作 小榑雅章

政府は本日19日午後、臨時閣議を開き、過去に解除した制裁の復活や、人的往来を制限する対象者の追加など北朝鮮への独自制裁の強化策を決定した、という。
政府は、これまでも、何回も「独自制裁の強化策」を、やったやったと宣伝しているが、北朝鮮はとんと「困った、反省します」というような風情はみせない。
これまでの政府の発表をうのみにすれば、北朝鮮は世界から孤立し、国交のあるのは中国とロシアぐらいで、日本からの援助がなければ、北朝鮮はすぐにでも音を上げるはずだ、との口ぶりだった。
北の人民は住むところも貧しく、食料も乏しく飢えて大量の餓死者が出るのではないか、という報道なので、これはたいへんだとも思ったが、テレビの画面では高層ビルが立ち並び、まるまると血色よさげな人々の姿が映っている。いやあれはやらせで、実態は違うともいうが、あの高価なミサイルの打ち上げを行ったり、サッカーの選手が活躍したりするのは、やらせとは言えまい。いやあれは苛斂誅求、人民の犠牲の上に成り立っているのだ、とかぶせてくる。
それならば、今年の冬あたり、大量の難民が押し寄せてくるのではないかとも危惧していたが、その気配のかけらもない。
北朝鮮が孤立していて、在日朝鮮人の日本からの送金なので飢えをしのいでいるのなら、もうとっくに効き目はあるし、なぜ効き目がないのか、結局のところ、これらの報道は本当なのかと首をかしげざるを得ない。
本当に孤立しているのかと、少し調べてみたら、とんでもない。
北朝鮮と国交のある国は、なんと世界中163カ国にもなるというではないか。なんとそのなかには、イギリス 、イタリア 、オーストリア 、スイス 、スウェーデン 、ドイツ 、などの西欧諸国やインド もパキスタンもインドネシアもアジアも中東もアフリカも南米も、世界中と交流しているというのだから、日本が制裁を行ったところで痛くもかゆくもないではないか。
それでも、やってるやってると言わなければ格好がつかないと言うのだろうが、やはり大事なことが疎かにされていることを言わなければならない。
つまり、国民へ間違った情報を流し、国民の目をふさぎ、感ちがいさせているという大罪を犯しているということだ。一種の情報操作で、国民をミスリードさせているのだ。
こういうことが、一番怖い。安倍内閣の世論操作、情報操作は非常に巧妙だ。これまでアベノミクスという造語を作り出し、それがさもこの国に繁栄をもたらすかのような空気を、巧みに醸成してきた。実態はめちゃくちゃだ。うたい文句の3本の矢が中途半端で、肝心の第3の矢がまだ全く何の成果もあげていないのに、いつの間にか新第3の矢にすり替えている。
アベノミクスは、大成功だ大成功だと演出を展開し、国民の支持率は高い。
この世論操作の神輿を担いでいる新聞やテレビの体たらくもひどいが、その報道機関につぎつぎと圧力をかけてきている安倍政権の悪辣さを、国民はもっと知るべきなのだ。
だまされない国民にならなければ、また一億総ざんげになる。

放送局の電波を止めるかも、言論統制なんて簡単さ  小榑雅章

2月8日の衆院予算委員会で、放送局の免許権限を持つ高市早苗総務相が、「行政指導しても全く改善されず繰り返される場合、何の対応もしないと約束をするわけにはいかない」と答え、政治的公平性を欠く放送を繰り返した場合、電波停止を命じる可能性があることに言及した。15日の今日も同じような発言を続けている。
電波を止めると言う放送局の存廃につながる権限を行使する可能性もある、という権限者の大臣の発言だけに看過できない。
私は、神戸の民間放送局の責任者だったことがある。その当時、監督官庁だった郵政省に、一部の変更をお願いしたところ、その尊大で、人を人とも思わぬ横柄な態度に、どれほど泣かされたかわからない。お前は何さまと思っているんじゃ、とわめきたくなるような屈辱を味わったが、相手は電波の許認可権を握っているお役人だ。仮にも私はその放送会社の社長だったが、ご意向に沿うようにお追従をいいつづけた、ご機嫌を損ねないように、ただひたすら頭を下げ続けたのである。
放送局が電波を止められたら、放送局でなくなる。会社がつぶれる、社員も路頭に迷うのだ。この恐怖がどれほど放送局を委縮させるか、わかるだろうか。時の政府の意向で、その可能性もあるから気をつけろ、と言われたら、放送局としたら「へへえー、ご意向に従いまする」と言うしかない。言論の自由なんてとんでもない。社内で一斉に、危ないことは一切禁止、無難に、おだやかにと牙を抜かれた状態になる。
政府は、「政治的公平性が問題だ」という。高市総務大臣が「行政指導しても全く改善されず繰り返される場合、何の対応もしないと約束をするわけにはいかない」と言うのだが、政治的公平とはなんだ。それこそ問題だ、という識者もいる。私もそれが問題だと思う。しかし、安倍内閣としては、そんな面倒なことをとやかく言う必要はない。「電波など止めませんよ、でも可能性は否定しませんよ」と、さも当たり前のことをさらっとつぶやいていれば、それだけで十分。あとは放送局が勝手に恐れ入って自粛するのを、高みの見物していればいいのである。
放送局は電波を止められるからたいへんだ、その点、新聞社は大丈夫、などと思っていたら、それは権力の恐さを知らない。売り上げ部数が減り続けている新聞社としたら、頼りは広告だ。それを止められたらどうなるか、そんなことはないよ、と経営者は考えているのだろうか。
花森安治さんは、それを見通して、暮しの手帖を広告のない雑誌に作り上げた。
「暮しの手帖が広告を取らないのは、商品テストのためだと思われているが、それよりも、相手は国家だ。権力だ。国家に対抗するためには、弱みを握られてはいけない。敵はしたたかで強大だ。ジャーナリストは、死にもの狂いで、権力に対峙しなければならない。
ジャーナリストに、その覚悟があるのかどうか、その方が問題なのだ」と語っていた。
ジャーナリズムの、覚悟が問われている。

北朝鮮弾道ミサイルと安倍内閣の世論操作  小榑雅章

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和菓子1個用の手作り紙袋  小榑雅章

甘いものが好きである。とくに、あんこものが大好物だ。
近くにうまい和菓子屋がある。大の男が甘いもの好きなどというのは、なんとなく恥ずかしいと思い、いつもは横目で見ながら通り過ぎるのだが、その日は、勇を鼓して入った。うまそうな大福やどらやき、おはぎ、生菓子が並んでいる。うまいぞうまいぞと手招きしているようだ。思わず顔がほころぶ。どれにしようか。お遣い物にするわけではないので沢山はいらない。さりとて1個くださいというわけにもいくまい。男子の沽券に係わる。とは言いながら、日持ちもしないのをたくさん買うのも無駄だし、健康にもよくない。
少々気がひけたが,店員さんに1個からでも大丈夫ですかと聞いたら、もちろん1個から大丈夫ですよ、とにこやかに言ってくれた。そこでどら焼きを一つにみたらし団子を一つ・生菓子を一つ買って帰宅した。帰って手提げのビニール袋の中を見てびっくり。それぞれの菓子が別々に簡単に包装されており,特に生菓子は一つだけが入る紙袋におさまっている。(写真)よくよく見るとその小さな紙袋は,その店の包装紙を切って張り合わせた手作りのようである。

最近は,独り住まいの人が多くなり,コンビニなどでも飲み物だけとか100円程度のお菓子1個だけ購入するのは当たり前だと聞いてはいたが、売る人に申し訳ないような、恥ずかしいような感じがしていた。でもそういう時代になったのか、とある種、取り残されたような感慨にとらわれた。
後日,再度この和菓子店を訪れて尋ねてみた。
あの1個用の紙包みは,やはり手の空いた時に大きな包装紙を切って、手作りしているそうだ。1個だけとか,ちょっとだけ買って下さるお客様が多くなってきたのと,他のお店で,やっているのを見ておしゃれだなと思って、2年ほど前からやり始めたそうだ。
この店の名は、つる瀬千駄木店。つる瀬本店は昭和5年に湯島天神のお膝元で創業した銘店だが、湯島の本店では,1個用の紙包みはやっていないようで、2代目が平成になってから開店したこの千駄木店のみの試みだそうである。
1個包装の店はほかにも沢山あるのだろうが、男子の沽券などとカビの生えたような世代から見ると、あの小さい1人用の手作り紙袋は、ほっこり優しさを感じさせてくれて、生菓子の鹿の子も一段とうまかった。

埴輪同人の宇治敏彦がテレビ出演し、「戦後70年」について熱く語りました      小榑雅章

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宇治敏彦さんが、TBS CS放送「ニュースの視点」に出演し、約40分間にわたって新著『政の言葉から読み解く戦後70年』の内容に沿って、話をしました。
 戦後70年の「政」の世界を、「政」(まつりごと)にまつわる言葉からひもとき、解説し意見を述べています。また戦後100年へ向けて、熱く提言しています。
新評論社のHPから、この放送が全編みられますので、ぜひ下記にアクセスしてご覧いただけたら幸いです。
http://www.shinhyoron.co.jp/1818.html


無責任な川内原発再稼働  小榑雅章

8月11日午前10時半、九州電力は、鹿児島県の川内原発1号機の原子炉を再稼働させた。
これに先立ち、安倍晋三首相は9日、長崎市で記者会見し、「何よりも安全を最優先させる。…福島の苛酷な事故を踏まえ、世界で最も厳しいレベルの新規制基準に適合しない限り、原発の再稼働はさせない方針だ」と強調している。
これを聞くと、「川内原発は絶対安全だから、再稼働させた。だから安心しろ」ということになる。
ところが、肝心の原子力規制庁のホームページに記載されている新基準をみると、
「この新規制基準は原子力施設の設置や運転等の可否を判断するためのものです。しかし、これを満たすことによって絶対的な安全性が確保できるわけではありません」
えっつ、安全性は確保されていないのかよ、そんなのありか、それなのに、安倍さんは、「何よりも安全を最優先させる」と明言しているじゃないか、まるで詐欺だよ。
もしも万一、大事故が起こったら、誰が責任取るのだろう。当然、安倍首相は責任とるのだろうな、と思ったら、原子力発電稼働の責任は九州電力だから、事故の責任も電力会社だという。おまけに避難の計画や実行は、各自治体が担うというのだ。えええっ、国立競技場とおなじで、責任が誰なのか全くわからない。これはもうめちゃくちゃ。
「事故は起こらない」ことを前提にしていた原発安全神話が、福島でもろくも潰えた時、原発を動かしている限り、事故は起こる、ということを国民は痛感した。だから原発再稼働には反対が圧倒的に多い。それでも、この国には、なぜか、原発にしがみつく集団がいる。よほど甘い蜜があるのだろう。どうしても原発を動かそうとさけんでベースロード電源とやらにしてしまった。
事故は起こることを前提にしなければならなくなって、万一の時に住民避難はどうする、なんとか対応せなあかん。緊急避難は災害対応だから、それは政府でも電力会社でもなく、自治体の仕事だということになった。大雨による土砂災害と原発過酷事故が一緒なのかいな。これがまかり通るとは、この国のいい加減さにあきれて悲しくなる。
福島で最も混乱したのが、住民の避難であった。どこにどうして逃げたらいいのか、誰もわからない。放射能は目にも見えない、匂いもしない、風向きによっても危険か安全かどんどん変わる。放射能が降り注ぐ中、住民はどのように迅速に避難したらよいというのか。それが市町村の役割だという。そんなこと出来るわけないじゃないか、返上するとなぜ言わないのだろう。小さな市町村にどれほどの能力と人力があるというのだ。
川内原発の地元である出水市は、原発から半径5~30キロ圏の緊急時防護措置準備区域(UPZ)に2万2000人が暮らす。いざというときには、屋内退避や避難、甲状腺被ばくを抑える安定ヨウ素剤の服用などが求められる地域だ。
 南日本新聞によると、この出水市で開かれた住民説明会で、市の担当者は、伊佐市や霧島市など避難先への複数のルートを紹介。「放射性物質は五感で感じられない。不安だと思うが、冷静沈着に」と呼び掛けた。しかし住民から、「風で避難先へ放射性物質が流れたら、計画は役に立たない」と意見があった。そうしたら、県の職員は「避難先で汚染の数値が出た場合、新たな避難先を県で調整して提示する」と答えたという。何をのんびりしたことを言っているのか。そんな悠長な時間はない。
大体、大災害時には、県庁職員自身が被災者になることも多く、怪我をしたり道路が渋滞したりして登庁もままならない。阪神大震災の時には、職員も登庁できず、当日はがらんどうだった。県庁や市役所の建物も被災、一部損壊して、しばらく使い物にならなかった。
原発が破壊され、放射能がどんどん飛散しているような大事故の時には、県庁や市役所も被災し職員も大混乱だということを前提にしたほうがいい。そんな中、職員たちは無傷で整然と「新たな避難先を県で調整して提示する」などということができるはずがないのである。つまり避難計画などないに等しいのだ。
また、これも南日本新聞の記事(2015-06-30)からだが、「九州電力川内原発(薩摩川内市)の重大事故時に、要援護者や移動手段を持たない住民を避難輸送するバスや運転手を確保するため、鹿児島県は29日、県バス協会と原発から半径30キロ圏内の協会加盟事業者33社を相手に協定を結んだと発表した。」
鹿児島県は契約を結んだことで責任逃れのアリバイ作りにはなるだろうが、実際は絵に描いた餅だということは、誰にもわかる。
現に重大事故が起こっている。地域には放射能が降り注いでいるのだ。だから避難する必要がある。そんな危険なところへ、誰がバスを運転していくのか。契約は会社がするが、実際に現地に行くのは運転手だ。
これについて、8月11日の朝日新聞がつぎのように取り上げている。

自治体はバスなどで周辺住民を避難させる。しかし、被曝(ひばく)の恐れがある地域に、民間バスの運転手を強制的に向かわせる制度はない。11日に九州電力川内原発が再稼働する予定だが、住民の避難計画は運転手の善意が頼みだ。
福井県の関西電力美浜原発で事故が起き、放射性物質が外部に漏れ出た――。
 7月12日、こんな想定の防災訓練が滋賀県長浜市であった。滋賀県の長浜市と高島市は福井県内の原発の半径30キロ圏(緊急時防護措置準備区域=UPZ)にあり、圏内に約5万8千人が住む。
 訓練には住民503人が参加した。最寄りの小中学校や体育館に集まり、バス14台に分乗して県立長浜ドームまで避難した。
 2011年3月の福島第一原発の事故後、12年9月に原子力災害対策特別措置法が改正された。これを受け、原子力規制委員会が定めた原子力災害対策指針の中で、原発の半径30キロ圏の自治体は避難計画の策定を義務づけられた。
 長浜市と高島市の場合、原発事故が起きると住民はまず屋内に退避する。地上1メートルの高さで毎時20マイクロシーベルトを超える放射線が観測された場合、1週間以内に滋賀県内や大阪府、和歌山県に避難する計画だ。
 移動手段はバスが原則。自家用車だと渋滞や避難先の駐車場不足が懸念されるためだ。滋賀県は13年12月に県バス協会と協定を結んだ。県内の観光バス約500台を避難用にあて、住民をピストン輸送する計画を立てている。
 しかし、訓練でバスを運転した湖国バスの西沢正勝さん(52)は「放射線は目に見えない。安全か危険か現場で判断できない」と戸惑う。滋賀観光バスの馬場兼蔵・安全統括部長は「運転手に業務命令を出すのは難しい。勇気を持って行って来いとしか言えない」。滋賀県原子力防災室の入江建幸参事も「運転手の善意に頼るほかない」という。
 災害対策基本法86条は、災害時に知事が運送事業者に被災者の運送を要請できると規定している。要請に応じない場合は「指示」できると定めているが、「強い意思表示に過ぎない」(内閣府)。従わなくても罰則はない。

児玉誉士夫と大野伴睦の日韓修復への思い  小榑雅章

安倍首相の戦後70年談話が、間もなく発表されるという。
その中で、日韓関係にも触れるだろうが、また物議を醸すのではないかと注目されている。
その安倍さんに、ぜひ読んでもらいたいエピソードがある。
児玉誉士夫という人物をご存じだろうか。
若い人にはなじみがないだろうが、日本の右翼運動家で、戦後の「政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれて、日本の政財界に大きな影響力を持っていた人物である。暴力団・錦政会の顧問でもあり、CIAエージェントであったともいわれる。
その児玉誉士夫が、日韓関係の修復について、自民党の副総裁を六期も務めた大物、大野伴睦とのやりとりを、宇治敏彦が新著の中で紹介している。(「政(まつりごと)の言葉で読み解く戦後70年」51頁)
これがじつに興味深いので、その部分を以下に転載させていただく。
           ***
難航した日韓基本条約交渉についても、右翼の児玉誉士夫が「大野先生こそ第一の功労者」と、こんな秘話を語っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   私は先ず岸先生を説き、河野先生を説き、次に大野先生を説いた。その折、先生は話半ばに、急に腹を立て「君、よく聞け よ、僕のこの歯は前が全部入れ歯だが、これは誰の所為だと思う(中略)。終戦後、韓国人が日本でうんと暴れたんだ。そこで俺は国会で韓国人の取り締まりについて発言したんだ。ところが、それを恨まれ、名古屋の旅行先で若い多数の韓国人に突然部屋に暴れ込まれ、俺は殴られて歯を折られてしまったんだ、若い者が大勢でこの老人を殴ったんだよ。その俺が、今更なんで韓国の問題に協力せねばならんのだ。」こういった調子で自分の話に全然乗ってくれない。そこで自分が「先生、韓国は日本に数十年取られておりました。それを正しい事だと言えるでしょうか。日本は又、大正一二年の大震災の折、韓国人にどんなひどい事をしたかご記憶でしょう。先生の恨みは数本の歯にすぎません。然し、韓国人の日本に対する恨みは、関東大震災の時のことだけでも、先生の歯に比較しようもないほど深いものだと思います」。(中略)
   先生は突然、胡坐をかかれていたのをピタリと正座になおされ、膝に手をおいて、食い入るような目で、私を見つめていたが、「児玉君、勘弁しろ、僕は少し間違っていた。日韓問題は大野伴睦が引き受けたぞ」。(『大野伴睦―小伝と追想記』大野伴睦先生追想録刊行会、一九七〇年、非売品)
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   日韓交渉における大野の活躍ぶりはここに記すまでもないが、こうした浪花節的な言動が大野の持ち味であり、それは官僚出身の政治家には見られない党人派の特徴だった。「伴ちゃん」(大野伴睦)、「角さん」(田中角栄)、といった具合に一般大衆から愛称でのも党人派で、佐藤栄作(元運輸官僚)は総理大臣のとき、「私も栄ちゃんと呼ばれたい」と大野の追悼会で語ったことがある。自民党全盛期に大野派に集った国会議員は、その大半が党人派だった。




暮しの手帖はなぜ広告を載せないのか――広告をやめさせろという言論統制発言について  小榑雅章

先月6月26日に自民党の勉強会で、報道機関に広告主を通じて圧力をかけるべきだとの議論が噴出したという。
翌27日の新聞各紙は一斉に警告の論説を掲載している。
たとえば、毎日新聞の社説は、
・・・危うい風潮である。安倍晋三首相に近い自民党若手議員の会合で、今国会で審議中の安全保障法制をめぐり、報道機関に広告主を通じて圧力をかけるべきだとの議論が噴出した。講師として出席した作家は沖縄の新聞2紙について「つぶさないといけない」と発言した。
  民主主義の根幹をなす言論の自由を否定しかねない言動が政権与党の会合で出たことに驚く。非公式な議論という説明では済まされない。一連の発言内容は不適切だという認識を首相はより明確に示すべきだ。
  問題の発言は自民党議員による勉強会「文化芸術懇話会」で、NHK経営委員も務めた作家の百田尚樹氏との質疑の際に出た。安保法制の国民理解が広がらないことと報道の関連をめぐり、出席議員の一人は「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」と発言したという。報道機関をどうかつし、政権批判を封じようというのでは言論統制に等しい発想である。・・・(以下略)

新聞もテレビも雑誌も、どれもマスコミの収入源の多くは広告である。
新聞の販売収入は約6割で、約25%近くが広告収入だ(新聞協会)。とくにテレビの収入源は、ほとんどが広告である。まさに、広告は生命線。広告という糧道を絶たれたらテレビは絶対に生きてはいけないし、新聞も経営が行きづまるだろう。
自分たちに異を唱えるマスコミは広告をやめさせて、困らせなければならないと自民党の議員が考えるのも不思議ではない。
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ところで、暮しの手帖という雑誌がある。
花森安治編集長のもと、発行部数100万部の生活雑誌として戦後の世論形成に大きな影響力を持っていた。とくに商品テストが特色で、電気冷蔵庫や電気洗濯機などの性能検査のテストをして、買うべき商品ではないなどと遠慮なく評価を発表していた。
その暮しの手帖には、広告がない。タダで配る同人雑誌ではない。広告がなければ経営できないはずの営業雑誌なのに広告がないのである。
なぜか。なぜなのか。
暮しの手帖の編集部員だった筆者は、編集長の花森さんから真顔で「暮しの手帖はなぜ広告を取らないのか」と糺されたことがある。1960年、安保騒動の真っ最中で連日国会議事堂の周りを数万ものデモ隊が押し寄せていた時だ。
筆者は、「商品テストをするためには、東芝や日立やナショナルの広告をもらっていたら、中立の評価が出来ないし、広告をもらっているから手加減をしているのだと読者からも信用してもらえないので、広告をとらないのです」と教科書的な返事をした。きっと優等生の得意顔だったのだろう。
「その通りだ。だれでもそう思う建前だ」と言ってから、顔をあらためて、「でもな、われわれの相手は商品テストのメーカーや企業だけではない。本当の相手は、権力だ。政府だ。自分たちに異論を唱え、反対するジャーナリズムは、必ず潰しに来る。広告で経営していれば、必ず広告を出さないように企業に圧力をかける。それが権力だ。権力に抗しようとすれば、権力に隙をみせてはならない。いま新聞もテレビも、安保改定反対を叫んでいるが、本当の土壇場になっても踏ん張って権力に逆らえると思うか。広告を止めると言われても、本当に主張を曲げないか。
暮しの手帖は最後の最後まで、主張を曲げない。その時は全頁をあげて主張すべきを主張する。そのために広告を取らないのだ。胸にしまっておけ」
花森さんは、権力を信頼しない。国民は、権力にどれほど騙され、ひどい目にあったことか。そしてその片棒をどれだけ新聞や雑誌が片棒を担いできたことか。
ジャーナリズムが広告を止めると脅かされて腰抜けになり、いつまた権力におもねるかわからない。
だが、万一そうなっても、暮しの手帖だけは最後の最後まで全力で戦えるために、広告を取らないのだ。

7月4日の毎日新聞の社説の末尾は、
・・・首相は「言論の自由、報道の自由は、民主主義の根幹をなす。これは一貫した安倍政権、自民党の姿勢であり、その姿勢が疑われるような発言があったことは誠に遺憾だ。今後とも、こうした疑いをもたれることのないよう、しっかりと襟を正していきたい」と述べている。
 この言葉を忘れないでほしい。・・・

「この言葉を忘れないでほしい」と、安倍首相にくぎを刺しているのも、常套句ながら結びとして適切なのだろうか。
 しかし、なんと能天気な甘々の結び。
「この言葉を忘れないでほしい」と言ったら、守ってくれるほど、権力は甘くない。
権力は、勝手に忘れるのだから。いくらでも臆面もなく前言を翻すのだから。
それを骨身にしみるほど味わってきたから、暮しの手帖は広告を取らないのだ。

憲法9条はどのように誕生したのか    小榑雅章

 一月ほど前の6月4日、衆院憲法審査会は憲法学者3氏を参考人として招き、立憲主義などをテーマに意見聴取と質疑を行ないました。この席で、集団的自衛権の行使容認について見解を問われた3氏全員が「憲法違反だ」と明言しました。
 時事通信の記事によると、「招かれたのは早大教授の長谷部恭男氏と笹田栄司氏、慶大名誉教授の小林節氏。長谷部氏は、安倍政権が進める安全保障法制整備について「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかないし、法的な安定性を大きく揺るがすものだ」と批判した。
 小林氏も「憲法9条2項で軍隊と交戦権が与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くことは憲法9条違反だ」と強調し、9条改正を訴えた。笹田氏は、従来の憲法解釈に関し「ガラス細工で、ぎりぎりのところで保ってきていた」とした上で、集団的自衛権行使については「違憲だ」と述べた。」
(http://www.jiji.com/jc/zc?k=201506/2015060400318)
 自民党推薦の長谷部氏をはじめ、3氏全員がそろって「憲法9条違反」と断じたことは、国民の間に大きな衝撃を与えました。この憲法審査会を境に、潮目が大きく変わってきたといいます。
 ところで、この憲法9条がどのような経緯で誕生したのか、ご存知でしょうか。アメリカの押しつけだ、いや日本国民の敗戦の反省から生じたものだ、などいろいろ意見が分かれています。
 同人宇治敏彦は、先にご紹介した新著「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」の中で、「マッカーサー三原則(マッカーサーノート)」と題して、憲法9条の誕生の経緯を詳しく記述しています。重要なことですので、筆者にことわってその記述の全文を下記に転載させていただきます。ぜひご参考にしていただけたらと存じます。
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マッカーサー三原則(マッカーサーノート)

 マッカーサー三原則とは,一九四六年二月三日、マッカーサー元帥が日本国憲法草案に関してコートニー・ホイットニー(Courtney Whitney,1897~1969・陸軍の将官)GHQ民政局長に示した三つの方針、いわゆる「マッカーサー・ノート」のことである。
 第一は天皇制。「天皇は国の元首の地位にあり、皇位は世襲される。職務と権限は憲法に従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるものとする」
 第二は戦争放棄。「国権の発動たる戦争は廃止する。日本は、紛争解決の手段としての戦争、さらには自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸空海軍を持つ権能は、将来も与えられることなく、交戦権が日本軍に与えられることもない」
 第三は封建制度の廃止。「日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き一代以上に及ばない。華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は、イギリスの制度にならうこと」(大友一郎編「日本国憲法制定経過に関する年表と主要な文書」私家版)
 松本丞治国務相を中心にまとめた日本側の憲法改正要綱に、マッカーサー元帥が「現状維持にすぎない」と強い不満を表明した結果だった。
 二月一三日、ホイットニーは吉田外相と松本国務相を訪ね、松本案は承認できないとして、マッカーサー・ノートに肉付けした11章92条からなる憲法改正案(マッカーサー草案)を日本側に提示した。幣原内閣は、同二六日の閣議でマッカーサー草案に沿って起草することを決め、三月二日には脱稿してGHQに提出している。そして六日、憲法改正草案要綱が日本政府とGHQから同時に発表された。松本国務相らがまとめた日本案は見る影もなかったが、ただ一つ、立法府の一院制については、松本からの強い反対を踏まえてGHQも二院制採用に譲歩した。六月からはじまった芦田均(第四七代総理大臣)を委員長とする憲法改正小委員会の審議では、何回にもわたって修正が行われている。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
ご存じのとおり、これが現行の憲法九条だが、審議の途中で「芦田修正」が加えられている。事実、第二項の「前項の目的を達するため」という文言が芦田の提案で付加された。
 芦田はその経緯について、後年(1957年一二月)、憲法調査会(高柳賢三会長)で「ひとつの含意をもって」提案したと証言した。その含意とは、「自衛のためであれば 陸空海軍その他の戦力を保持できる」と解釈できるようにしたということである。だが、一九九五年に公表された芦田小委員会の秘密議事録には「含意」の意味は記録されていない。したがって吉田首相などは、一九四六年、国会で「自衛権の発動としての戦争も、交戦権も放棄した」と答弁している。「戦力なき軍隊」という吉田の国会答弁は流行語にもなったが、吉田は細川隆元との対談で、「戦力なき軍隊」の真意について次のように説明している。
「実際、日本はそうあるべきだと思うんですよ。今日ね、再軍備しようたって、それは非常な金ですわね。(中略)イギリスだって、イギリスの真ん中にアメリカの航空隊がいるんですしね。ドイツ、フランスはもちろんのこと、一国をもって独立を守るなんてしゃれたことを言ったって、今日はもう時代が違って、それはできない話だと思うんですね。共同防衛といいますかね。コレクティブ・ディフェンスというのが原則であると思うんです。他国の援助を加えて、初めてここに戦力ある軍隊ができるんで、一国だけでイギリスといえども、フランスといえども、あるいはドイツ、アメリカまでも含めて、戦力なき軍隊といったほうが正しくありませんかね。日本ばかしじゃなくて。ですから戦力なき軍隊を持っているからといって、不名誉でも何でもないとあたしは思うんです。時代が違うんですからね」(細川隆元『隆元のわが宰相論』山手書房、一九七八年)

吉田の考えが実によく出ている。要するに、「戦力なき軍隊」論とは自衛隊違憲論をかわすための強弁(詭弁?)と同時に、一国単独主義の安保・防衛政策は時代遅れという外交官的な感覚からくる持論でもあった。
 GHQは、芦田修正に強い関心と懸念を示した。自衛のためとはいえ軍隊が復活し、戦前のように日本政治をコントロールするようになることは危険であると感じたのであろう。軍の責任者が閣僚になることを禁止する、すなわち「文民統制」(シビリアン・コントロール)条項を新憲法に追加するよう日本に迫った。それが現憲法六六条での「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定である。憲法学者の西修駒澤大教授は、「芦田修正は日本側の思惑をはるかに超えて、文民条項の新たな誕生という大きな副産物を生み出した」(読売新聞、一九九五年九月三〇日付朝刊)と評価している。
 こうした経過を経て誕生した日本国憲法(一九四六年一一月三日公布、一九四七年五月三日施行)を、GHQからの「押しつけ」と見るかどうかの議論が長く続いている。また、自民党など保守政党の自主憲法制定論の根拠の一つにもなっている。
「押しつけ」という表現を使ったのは岸信介、松本丞治らで、松本は一九五四年七月、自民党憲法調査会総会に出席して憲法草案作成の経過について口述した。このときの速記録によると、憲法全体についてではなく、第九条に関して「押しつけ」という表現を使っている。
「軍の廃止は最初向こうからこしらえて押しつけ(、、、、)て来たので、これに対してこちらは相当反抗したのでありますが、それをこちらの意思で何か軍の廃止をしたいからと言ったからマッカーサーがそういうことを書いたのだろうと言われるのは、前後まったく転倒している。はなはだしい間違いだと思います」
 第九条の発想は幣原首相の提案ではなく、マッカーサー元帥側からの「押しつけ」だというのだ。日本国憲法の制定経過を調べてみると、松本が中心となって取りまとめた日本案はマッカーサー元帥およびGHQ側から「保守的」としてことごとく退うけられたほか、「戦争の放棄」に関しては、幣原首相がマッカーサー元帥との会談において基本認識で一致した経緯などを十分承知していなかったこともあって、松本の怒りやいら立ちが随所から伝わってくる。そのため、松本は「押しつけ」という表現を使ったのであろう。
 この「押しつけ」かどうかについては、当時、内閣法制局参事官として憲法改正作業にかかわった佐藤功(一九一五~二〇〇六・上智大学名誉教授)成蹊大教授が新聞へのインタビューで次のように語っている。
「確かにGHQが原案をつくり、修正も、全部その承認が必要だった。それをけしからんというなら、戦争をやらなければよかった。しかし、その枠の中で、相当多数の条項が自発的に修正された。それを司令部は承認した。日本側が何もできなかったということではない」(朝日新聞、一九九五年九月三〇日付朝刊)
 手続き的には、マッカーサー草案を受けて幣原内閣がGHQと修正協議を行い、一九四六年三月、憲法改正草案として発表している。そして、同年七月から衆議院、貴族院での約一〇〇日審議を経て成立し、一一月三日に公布された。」したがって、立法手続き上から「押しつけ」と断定するには無理がある。
 問題は、何をもって「押しつけ」と見るかであり、日本側が最初からGHQ案的な内容の草案を提出していたら、松本が指摘するような「押しつけ」はなかったであろう。だが、それほどの大改革という認識は当時の日本側指導者にはまったくなかった、いやできなかったというのが正確なところだろう。新右翼団体「一水会」の鈴木邦男顧問は、安倍晋三首相が示している憲法改正への意欲について「自由のない自主憲法になるよりは、自由のある押し付け憲法の方がいい。形じゃない」(毎日新聞、二〇一四年三月一日付朝刊)とコメントしている。
 筆者は現役記者時代に内閣の憲法調査会(高柳賢三会長)を答申まで取材したが、今でも一番印象に残っているのは、事務局で参事官を務めていた大友一郎が、筆者のインタビューに答えた次の言葉である。
「マッカーサー・ノートなどで示された『戦争放棄』の表現は最終的条文になるまでさまざまに変化しているが、最初は『戦争の放棄(renounce)』ではなく『戦争は廃止する(is Abolished)』と受動形だった。なぜ受動形なのか。私は長く考え続けた。原子爆弾といった人類を破滅に導く新兵器の誕生に伴い、もはや戦争は廃止される時代になった、との時代認識からではないか」
 それは、一九四六年一月二四日の幣原・マッカーサー会談で両者が一致した「戦争放棄」の認識をそのまま表現した英語ではないか、というのが大友の結論だった。一九九八年、憲法九条制定経過の再検証を東京新聞、中日新聞に掲載するため、大友と第一生命ビルの「マッカーサー執務室」で会った。そのとき、大友は次のような感想を筆者に漏らした。
「日本のイニシアチブでできた憲法ではないが、第九条については、日本の首相の提案を米側が取り入れたことを若者たちに分かってもらいたい。私も米側の草案を見たときはおやっと思った記憶があるが、九条に背く行為はすべきでない。九条の精神を生かす国連の成長が待たれますね」

 現在、安倍政権下で集団的自衛権の立法化作業が進んでいるが、日本も含めて世界各国首脳に求められているのは「war is abolished」という時代認識ではないかと思う。



宇治敏彦著「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」 小榑雅章

政の言葉から読み解く戦後70年
宇治敏彦著「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」新評論刊 2800円+税

埴輪の同人、宇治敏彦が新著を出版した。
「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」という少し長いタイトルの本だ。
早速、読んでみたが、これがとても面白い。そして役に立つ。考えるよすがになる。へえー、そうだったのか、という発見がある。
今年2015年から70年を引くと1945年。日本が敗戦した年であり、新生日本が始まった年である。安倍総理が70年談話を発表するといわれ、それが物議を醸すかもしれないと取りざたされてもいる。
取りざたするのもいいし、危惧するのも喝采するのもいいだろう。
だが、取りざたするにも材料がいる。この70年がどんな年月だったのか、だれがどのようにこの国の戦後70年を運転してきたのか、それを知ってからとやかく論じるほうが、はるかに楽しい。
本書は、まさに楽しく論じるための手引書だ。
それをかいつまんで紹介するよりも、宇治がこの本の「まえがき」に書いていることを読んでいただくのが、この本の良さを知っていただくには一番いいと思うので、少し長いが、以下に掲載させていただく。

宇治敏彦著「政(まつりごと)の言葉から読み解く戦後70年」
まえがき
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 人間がもつ最大の「武器」、それは「言葉」であろう。他人を感動させることも、激怒させることもできる。[言葉」は道具であるだけでなく、生き物だといえる。受け手も、その言葉がきっかけで結婚に発展したり、怨念から殺人に走ったりもする。なかでも、政治家、企業経営者といった他人を引っ張っていく立場にある人々、あるいは未来のある子どもたちを教育する教師の言葉は、一般市民以上にその責任が重いといえる。
 古代日本には「言霊」とか「言挙げ」といった表現があり、言葉と行為は言行一致、すなわち「言」は「事」なりという概念が存在した。『古事記』によれば、ヤマトタケル(日本武尊、倭建命)は伊吹山の神を征伐する際、途中で大きな白イノシシに出合ったが、それを神の使いと誤解して、「今殺さなくとも帰りに殺せばいいだろう」と言挙げした。
 しかし、実はそれが山の神の化身であった。怒った山神は氷雨を降らせた。雨に打たれたヤマトタケルは高熱に冒され、最後は能煩野(三重県亀山市)で命を落とすことになる。 「言挙げ」が漫心から出た場合は悪い結果をもたらすという代表例である。

  磯城島の 日本の国は 言霊の たすくる国ぞ ま幸くありこそ

 『万葉集』(巻十三)に掲載されている柿本人麻呂の一首である。遣唐使が無事であるよう祈って詠まれた歌で、「日本は、言葉の魂が人を助ける国である。無事であってほしい」という意味だ。このように、日本人は古代から言葉と行動の関連性を重視する民族であった。
 もちろん、どこの国においても「言葉」が人々を感動させたり、激怒させることはある。アメリカの第一六代大統領エブラハム・リンカーン(Abraham Lincolon,1809~1865)の南北戦争に関連したゲティスバーグ演説は、不朽の名演説として知られている。

 戦死者の死を決して無駄にしないために、この国に神の下で自由の新しい誕生を迎えさ
 せるために、そして人民の人民による人民のための政治を地上から決して絶滅させない
 ために、われわれはここで固く決意する。(在日米国大使館資料から)

 日本においても、戦前戦後を通じて尾崎行雄、田中正造、永井柳太郎、河上丈太郎らをはじめとして議会での名演説でならした政治家は数多い。そのなかで、戦後政治の名演説といえば何といっても池田勇人首相の浅沼稲次郎追悼演説(一九六〇年一〇月一八日)であろう。日比谷公会堂で開催された党首演説会において、演説中に右翼少年の山口二矢に刺殺された浅沼社会党委員長を悼んでのことだが、追悼演説に首相が立つというのは珍しいケースだった。

君は、大衆のために奉仕することを、その政治的信条としておられました。文字通り東
奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって、直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
 沼は演説百姓よ
 よごれた服にボロカバン
 きょうは本所の公会堂
 あすは京都の辻の寺
 これは大正末期、日労党結成当時、浅沼君の友人がうたったものであります。委員長と
 なってからも、この演説百姓の精神は、いささかも衰えをみせませんでした。全国各地
で演説をおこなう君の姿は、いまなおほうふつたるものがあります。

 この追悼演説は大きな反響を呼び、与野党議員から賛辞が聞かれた。「俺が(演説原稿を)読んだら、議場がシーンとしてしまう追悼文を書いてくれ」と池田から頼まれて、この原稿を書いたのは、当時の総理秘書官・伊藤昌哉だった。太った体型から「ブーチャン」との愛称で呼ばれていた伊藤は、著書『池田勇人その生と死』(至誠堂、一九六六年)のなかで、この演説原稿の裏話を披露している。
 後日、池田首相は「あの演説は五億円か一○億円の価値があった」と漏らしたという。「沼は演説百姓よ」という詩を取り入れたことが大きい。当初はこの詩を二度繰り返して読む予定だったが、衆議院議院運営委員会の理事たちから「あまりにも型破りだから詩の部分は省いたほうがいい」という意見が出たと聞いて、朗読するのを一度だけにした。政治家センセイたちのセンスのなさが嘆かわしい。
 筆者も、鈴木善幸元首相が二〇〇四年に亡くなったとき、宏池会の会長だった宮澤喜一元首相から依頼されて内閣・自民党葬の弔辞を書いたことがある。拙著『実写1955年体制』(第一法規、二〇一三年)でも紹介したが、鈴木善幸夫人さちさん(二〇一五年二月死去)の俳句「女ひげそりて旅立つ萩の朝」を草稿に織り込んだ。
 鈴水首相は中国から帰国後、自民党総裁再選確実という情勢下で、突然、辞意を表明して政界やマスコミを騒がせたが、実は中国に出発する際、さち夫人が総裁選不出馬の覚悟を機中で俳句に託して記者団に披露していたのである。
 俳人だった夫人は、筆者に「萩の朝」がよいか「萩の露」がよいかと問うた。これから北京へ向かうときに「萩の露」というのは何かいかにも縁起がよくない気がして、「萩の朝のほうがよろしいのでは」と進言した。だが、迂闊にも、それが帰国後の首相退陣を前提にした一句だったとは筆者も含めて同行の記者団はまったく気付かなかった。
 弔辞を読む際、宮澤首相(当時)は追悼文案からこの部分をカットしている。公式行事での追悼文ではプライベートなことは極力避けたい、という宮澤らしい配慮であった。
 このように、その場その場での言葉の選択が難しいように、職業の選択、人生の選択となるともっと難しい。筆者は、新聞記者という職業は「I字型人間」(アルファベットのIのように間口は狭いが、奥行きの深いスペシャリスト型人間)より「T字型人間」(さまざまな問題に関心をもちながら、一つの専門分野をもつマージナル人間)のほうが向いているように思う。事実、そのように新人記者教育もしてきた。
 入社時の研修を終えた新人記者はまず地方支局に配属されるのが一般的だが、そこで地元警察の記者クラブ、そして次の新人が来れば市政や県政記者クラブに入会するのが通常のパターンである。ここで肝心なことは、記者クラブとはあくまでも取材の出発点であって、終着駅ではないということである。警察や市役所、県当局からクラブで発表されるデータは記事を書く材料のほんの一部にすぎないが、その発表をもって取材が完了したかのように錯覚している記者も多い。
 日本の記者クラブ制度が欧米から批判にさらされた時期があった。 一九九〇年代初めのころだったが、その内容は次のようなものだった。
・記者クラブは閉鎖的で、日本のマーケット(市場)が外国企業の参入に消極的なのとそっくり。
・事実上の取材制限ではないか。
・日本の新聞がみんな、横並びの記事を書いているのは記者クラブ制度のせいではないか。

 具体的なクレームをつけてきたのは、東京駅近くにオフィスを構える米国の経済通信社「ブルームバーグ・ビジネス・ニュース」だった。同社の日本代表から、「わが社はオブザーバーとして兜クラブ(東京証券取引所の記者クラブ)に入っているが、三月の決算発表期に、クラブ正会員のボックスから資料配布がはじまってオブザーバーたる当社のボックスに配られるまでに一分半の時間差がある」との抗議とともに、「イコール・アクセスの原則からしておかしい。改善策がとられないなら当社も正会員にしてもらいたい」という要請だった。
 この時代は、金融・証券の自由化に伴いアメリカでもトヨタやソニーなど日本企業の株を持つ人が増えていたころだから、決算報道での「一分半の遅れ」は、米国での日本株保有者の売買取引に損害をもたらすとの主張も、それなりに説得力をもつていた。
クラブ側は、部屋に余裕がないことや、同社には日本の新聞社と同様の幹事業務ができないなどの理由で「ノー」の回答を出した。しかし、ブルーム側は納得せず、結局、日本新聞協会が、一九九三年一月、「記者クラブ問題に関する小委員会」を設置し、外国報道機関のクラブ大会の是非を検討することになった。
 小委員会は一三社の編集幹部からなり、委員長を朝日新聞の村上吉男・東京本社編集局次長(ロッキード事件でコーチャン証言を記事にした)、副委員長を筆者(当時、東京新聞編集局次長兼経済部長)と片岡繁雄・北海道新聞東京支社編集局長が務めた。「外国報道機関に記者クラブを開放するなら国内の政党機関紙にも開放しなければならなくなるのではないか」、「英国のBBCみたいな国営放送局も入ってくると、記者クラブヘの日本政府の関与を強める契機になりはしないか」など、さまざまな議論が飛び交い、結論を出すまでに五か月を要した。
 最終的には、①日本新聞協会に届けを出している在日記者、②二社以上の日本報道機関の推薦、を条件に、「参入を希望する外国報道機関の記者については、原則として正会員の資格でクラブヘの加入を認めるべきである」との答申をまとめた。
これを受けて海外メディア八社が、「兜クラブ」にかぎらず、最大の記者クラブである「内閣記者会」(首相官邸のクラブで「永田クラブ」ともいう)を筆頭に、二〇のクラブに加盟申請を出した。それで円満解決したかというと、必ずしもそうではなかった。やはりクラブ正会員の「満場一致」という不文律が残っていて、たとえば「霞クラブ」(外務省記者クラブ)では、中国・北京で発行されている新聞〈北京日報〉の東京特派員からの入会申請には、産経新聞が「中国共産党の支配下にある新聞」との理由で反対し、入会が認められるまでに、その後もかなりの時間を要している。
 日本における記者クラブの歴史は一八九〇(明治二三)年に遡る。帝国議会開設に際して「議会出入り記者団」(のちの「同盟記者倶楽部」を結成したのが最初だった。現在は、首相官邸前にある四階建ての「国会記者会館」が国会取材のベースキヤンプとして使用されている。
 大平洋戦争中、「大本営発表」以外の報道が禁止され、国民は誇大な戦勝報道に沸き立ち、敗戦に至るまで真実を知らされなかった。もちろん、それに加担したマスコミの責任も重い。戦後はGHQ(連合国軍総司令部)の指導もあり、記者クラブは「取材活動を通じて相互の啓発と親睦を図る」ことを主眼に活動を続けてきた。政府も「新聞や放送を通じて広報・広聴をもつと徹底する必要がある」と認識して、各省庁の記者クラブは大臣室のあるフロアに設けるなどマスコミ対策を重視するようになった。
 同時に、記者会見も官庁側と記者側の共同開催という形で、取材される側(官庁)と取材する側(記者)が対等の立場で運営してきた。しかし、近年の首相会見などを見ていると、主導権を首相官邸側に完全に握られているようで、「なぜ、そこでもっと追及しないのだ」とテレビ中継を見ながら歯がゆく思う場面が多い。後輩の記者諸君、「国民の代わりに質問している気概をもつてくれ―」、そう叱咤激励したい気持ちでいっぱいだ。
 二〇一五(平成二七)年で、日本は大平洋戦争の敗戦から満七〇年を迎えた。 一九五五年体制(自民党一党支配体制)以来、新聞社の政治記者・デスク、経済部長、論説主幹、編集・論説担当取締役などとポストは変わっても、半世紀以上にわたって日本の政治・経済をウオッチしてきた一ジャーナリストとして、 政に使われた「言葉」や流行語ともなった社会現象を通して、戦後日本の実相を読み解いてみようというのが本書の狙いである。
 「吉田ワンマン」「グズ哲」「二ワトリからアヒルヘ」「昔陸軍今総評」「エコノミック・アニマル」「日本列島不沈空母論」など人口に膾炙する言葉には、 一般的な解釈とは別の意味があったり、誤訳だったりして俗説が独り歩きしている向きもある。その背景も紹介しつつ、戦後七〇年の日本を総括して、日本および日本人はいま何を「言挙げ」すべきなのかを読者とともに考えたい。とくに、「総人口の一億人切れ問題」「若者の保守化」「地方の衰退」「独居老人の急増」といった国力衰退現象が目立つなかで、過去を見つめ直すことから日本の新しい未来を拓くヒントが得られるに違いないと思い、最終章において筆者なりの提言を列記させていただいた。

G7サミットで安倍首相の表明する数字のトリック  小榑雅章

  G7ドイツエルマウサミット(主要国首脳会議)のニュースが、たびたび報道されています。安倍首相が、もっともらしくふるまっている映像も流れていますが、このサミットで行われる日本の主張にもっと注目すべきことがあることを知らされました。
  生態学者で生物多様性のリーダーの一人である足立直樹さんが主導しているレスポンスアビリティという会社があります。
  その会社は「持続可能な社会にとって必要とされる企業を作ることをお手伝いすること、しかもそれを 2025 年までに実現することです。 なぜなら、現在の社会も、また地球の環境も、今のままのやり方では持続不可能であり、その限界がもうすぐ目の前に迫っているからです」と明確な目標を掲げて、企業に持続可能性に取り組むよう熱く呼びかけています。http://www.responseability.jp/
その足立直樹さんが発行しているメルマガ「サステナブルCSRレター6月4日発行」の231号で、サミットでの日本の温室効果ガスの排出量削減目標について取り上げていますが、とても重要だと思いますので、一部を転載させていただきます。
  「…政府は2030年に向けての日本の温室効果ガス(GHG)の排出量削減目標を2013年比26%に決め、日曜日からのG7サミットで表明することになりました。
  『国際的に遜色のない野心的な目標をまとめることができた。COP21に向け、全ての国が参加する公平で実効的な枠組みの実現を目指し、世界をリードしていく決意だ』(日経)と首相は自画自賛しているそうですが、実際にはこの数値にかなりトリックがあることは、もうご存じだと思います。
  つまり、東日本大震災後の火力発電の増加でGHG排出量が増えた2013年を基準にしていることで、削減割合が大きいように見えるのです。EUは1990年比で40%減ですが、日本は同じ1990年比ですと18%減でしかありません。基準年をずらすことで「欧米に遜色ない」とするのは姑息ですが、そもそもこの目標は何のために設定しているかを理解していないようにも映ります。
  一方、リコーや富士通など先進的な企業10社による「日本気候リーダーズ・パートナーシップ(Japan-CLP)」は、2030年の日本のGHG排出削減目標を1990年比30%減以上とすることが望ましいとの意見表明をしています。
  その論拠はこうです。国際社会の合意である気温上昇を2℃以内に抑えるためには2050年には80%以上の削減が必要であり、これは日本でも既に閣議決定されています。それに整合性を取るためには2030年には最低でも30%にするのが望ましいということであり、きわめてロジカルです。…」
  恥ずかしながら、見事数字のトリックに引っかかって、日本も頑張っているではないか、と思っていました。
  スタンドプレーの目立つ安倍内閣ですが、サミットの舞台でも白を黒と言いはるようなまやかしの数字を発表するとは、なんとも恥ずかしいし情けない。こんな首相に高い支持を続けている国民も、そろそろ目を覚まさないと取り返しがつかなくなるのではないかと恐れます。

ジャーナズムは安部首相の応援団なのか  小榑雅章

放送会社の友人と話していたら、ぽつりと「近頃、安倍首相の扱いがうるさくてしんどくてかなわん」とこぼす。何がしんどいのだと聞くと、「国民のために行動している安倍さん、頑張っている安倍さん」の姿を出来るだけ流すように、というお達しなんだ、と声を潜める。
「おいおい、そんなことありえんだろう、そんなお達しが出るはずがない。表沙汰になったら大騒動だぞ」と言うと、「当たり前だ、文書で出るはずがあるか。空気だよ、空気」そして、わかるだろ、と首を振った。
山本七平さんが唱えたように、この国は「空気」に支配されている。
自民党の圧勝で、党内は磐石。野党は全くの無力で遠吠えしか出来ない。やりたい放題の安倍さんに逆らえるような「空気」はどこもない。しかし、ジャーナリズムは違うはずだ。ダメなものはダメと報道するのがジャーナリストの使命である。だが、言われてみれば、どのテレビも、安倍さんの元気な姿をせっせと報道している(ような気がする)。
テレビやラジオの放送局は、電波の許認可を総務省に握られているから、強い政権には怖くて逆らえないのかも。ましてNHKの会長人事やキャスターの更迭などの露骨な仕打ちをみたら、恭順の旗をかかげなければという空気があふれる。
しかし、それじゃあジャーナリズムとはいえないよ。
ボヤキを聞いて、放送ジャーナリズムの危うさを思ったが、待てよ、ジャーナリズムの本家の新聞はどうなっているのだと思う。
そして、新聞ジャーナリズムも目を覆いたくなるような惨状にあることに、あらためて気づかされた。
まるで、安倍政権の応援団のような論陣をはっている巨大新聞がある。そのコバンザメのような新聞もせっせと提灯持ちをしている。
そのほかの新聞も、舌鋒は鋭くない。原発事故も憲法9条についても、集団的自衛権の論調も、賛成反対両論併記の腰の引けた論述が多く、空気を読んで御身大切を最優先にしているような気がしてならない。
これでは、大政翼賛的ジャーナリズムではないか。
国論をミスリードして、この国の未来に禍根を残さないかと危惧をする。
ジャーナリズムの存在意義は何か。
暮しの手帖の編集長の花森安治に「ジャーナリストの使命は何か」と問うたとき、こう答えた。
「権力に抗すること。権力を糺すこと」
「権力に迎合する、まして応援するなど、ジャーナリズムの最も恥ずべきことで、やるべきことでない」
でも、自分たちも賛同できるような政治をしている政府だったら、ジャーナリズムも応援したほうがよいのではないですか、と聞いたら、お前は何にもわかっていないなという顔をして、答えた。
「政権は、それ自体、権力で、自らのほしいままにできるのだから、ジャーナリズムがそれを応援する必要などまったくない。自分たちの主張と同じだったら、ただ黙ってみていたらいいのだ。権力に迎合したり応援するようなのはジャーナリズムではない」
ジャーナリズムの使命は、「権力に抗すること。権力を糺すこと」
ジャーナリストたちよ、心してペンを握ってほしい。

ジャーナリストってなんですか、花森さんに聞きました  小榑雅章

フリージャーナリストの後藤健二さんがイスラム国の人質になって以来、報道の自由、渡航の自由などと同時に、ジャーナリストの使命についての議論も盛んになっています。
とくに、政府や外務省は、ジャーナリストであろうとなんであろうと、面倒なことはやめてくれ、迷惑だという物言いが前面に出てきています。
それに対して世論も、新聞やテレビであっても、国に迷惑をかけるのはよくないという模範解答が優勢のように思われます。
もう何十年もまえのことですが、暮しの手帖に入社してしばらくの間、編集長の花森安治さんから、「君はそれでもジャーナリストか」とたびたび叱責されました。叱責と言うより、なかば呆れられたり慨嘆されたという感じです。
その都度、「えっ、おれはジャーナリストなのか」と自分のほっぺたをつねったものです。
自分は雑誌の編集者ではあるけれど、新聞記者のように毎日飛び回って、政治記事や経済記事を書いたり、警察署から犯罪情報を取材したりはしないのに、それでもジャーナリストなのか。
密かにコンサイスの英和辞典を開いてみると、「ジャーナリスト 新聞雑誌記者」と書いてあります。なるほど、俺もジャーナリストだ、とは思いましたが、どうも花森さんの言っている「君はそれでもジャーナリストか」というジャーナリストとは少し違う気がしていました。
花森さんのいうジャーナリストはどういう人物?職業?能力?志?をいうのだろう。
青二才の新米記者は一生懸命考えました。
考えてもよくわからないので、恐る恐る「ジャーナリストになるためには、どうしたらいいのですか」と聞きに行きました。
花森さんは、こいつは何を言っているのか、訝しげに私をながめて、こりゃダメだという感じで、ふーっと息を吐きました。
そして一言、「本物か偽物か、みきわめる力だ」
それで、あっちへいってしまいました。

朝日記者がシリア国内で取材「外務省幹部が強い懸念」という記事について―― ジャーナリストの使命は何か 小榑雅章

 1月31日(土)の産経新聞に「朝日記者がシリア国内で取材 「非常に危険」外務省幹部が強い懸念」という次の記事が掲載されていました。
 「朝日新聞のイスタンブール支局長が、シリア国内で取材していることが31日、分かった。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」による日本人殺害脅迫事件を受け、外務省は1月21日、報道各社にシリアへの渡航について「いかなる理由であっても」見合わせるよう求めている。外務省幹部は「記者も当事者意識を持ってほしい。非常に危険で、いつ拘束されてもおかしくない」と強い懸念を示した。支局長はツイッターで、26日にシリア北部のアレッポに入ったと伝え、現地の様子を写真を交えてリポートしている。
 朝日新聞社広報部は「当該記者は、シリア政府の取材ビザを取得し、取材のために同国に入った。記者は当初の予定・計画に従って行動・取材をしている。この件に関しては弊社も了解している」と回答。見解については「お答えを差し控える」としている。」
 この記事を読んで、なんとも居心地の悪い、違和感に襲われました。
 ええーっ、なんで産経新聞はこういう記事を掲載したのだろう、なんでなんだろう。
 読んだ感じでは、朝日新聞が国禁を犯して、国益を損なうような非常識なことをやっている、ということを訴えたいのかな、と思われます。
 そうなのでしょうか。違和感はこの点にあります。朝日新聞のシリア取材は、国の方針に反した非常識な行いなのでしょうか。
 ジャーナリズムとは何なのでしょうか。
 真実を追求し、それを明らかにする使命を担っているのではないのですか。
 対岸の火事を、安全なコタツにでも入って遠望しながら記事を書けというのでしょうか。実際に現場に行ったら、たくさんの人が焼け出されているし、亡くなった方もいた、というような事態になっているかもしれません。そんな状況を自分の目で見、叫び声を耳で聞き、火の粉に焼かれながら、少しでも早く、正確に読者市民に送り届けるのがジャーナリストの使命ではないのですか。 
 シリアの状況は、確かに危険だと思います。物見遊山や観光のために行かないでほしいという政府の意向は正しいと思います。
 でも、ジャーナリストは違います。
 シリアやイラクやアフリカの惨状を、私たち日本の市民はどうやって知ることが出来るのでしょうか。何も知らなくていい、ということなのですか。
 実情を知らなければ、市民は何も出来ません。いやアメリカやイギリスなどの外国の報道があるというのでしょうか。ではアメリカやイギリスの記者は、危険な場所で取材をしてもかまわないが、日本の記者は危険だから行ってはダメだというのでしょうか。
 産経新聞の記事を読むと、政府や外務省は、国民や報道機関を檻の中に閉じ込めておくのが安全対策だと決めたようです。面倒なことはやめてくれ、海外旅行も企業活動も自粛せよ、と思っているのでしょうね。  
 しかし、ジャーナリストは違います。 
 国民の目となり耳となって、世界中の情報を取材し、国民に届けてもらわなければなりません。そうでなければ、国民は見ざる聞かざるで何事も知らないことになります。まさか、政府が責任を持って情報を伝えます、などというわけではないでしょうね。
 70年より前、国民は官製の国策情報しか知らされず、連戦連勝だとばかり思っていました。そのあげく、塗炭の苦しみを味わいました。
 ジャーナリストは、用意周到の上に、危険を覚悟で、真実を求めて世界中へ飛び立つべきなのです。

「勇気と希望をありがとう」阪神大震災と放送の役割  小榑雅章

朝日新聞声欄

今日は、1月17日。20年前の今日、神戸は未曾有の大震災に襲われた。
このとき、筆者は新神戸駅近くのマンションの7階で一人で寝ていた。
ガーンと強い衝撃があり、ベッドの脇の食器戸棚が倒れてきて、茶碗や皿が砕ける音が響いた。
真っ暗。電気はつかない。恐怖で、何をしたらいいのか震えた。・・・
こういうことは、テレビや新聞で山ほど語られている。
いまさら、語るほどのことではないだろう。
筆者は、この時、神戸のFM放送、KissFM Kobeで働いていた。
普段は音楽主体の放送局だが、ラジオ局として災害放送の責務も負っている。
暗闇の中で震えながら、大きな地震に襲われたことはわかった。となれば、一刻も早く放送局へ行かなければならない。ガラスに気をつけながら、身なりを整え、階段を下りて、街へ出て、暗がりの中、倒壊家屋の間を1時間近く歩いて、中突堤にある局にたどり着いた。
放送局も大きな損害を受けて足の踏み場もなかったが、非常用電源が機能して放送は継続していた。泊まりのディレクターが、6時13分大阪管区気象台発表の地震情報の第一報を放送していた。
KissFM には放送機能があり、関西一円2千万人に電波を届ける能力があるが、取材記者は一人もいない。
しかし、被災者は、今何が起こっているのか、これからどうなるのか、とにかく情報がほしい。そういう被災者の役に立ちたい。
どうするか。そしてどうしたか。
上に掲げたのは、震災から40日あまりたった2月28日の朝日新聞声欄に掲載された被災者の声である。
「勇気と希望をありがとう」 大震災時の被災者の心情に寄り添って、放送局として少しでもお役に立てたのではないかと、この投稿を拝見したとき、涙が出て止まらなかった。

花森さんの心配・恐れ  小榑雅章

今日、1月14日は、花森安治さんの命日です。
昭和53年、1978年の今日、なくなりました。
私は、亡くなった花森さんのひげをカミソリで剃り、医師から死亡診断書をもらって、荼毘の準備をしました。
その花森さんが、最も心配していたのは、「国とはなにか」ということです。
「国を愛する」とか、「この国のために」とか、まるで崇高な使命感のように語られる「くに」とは、私たち庶民にとって「何」なのか、ということです。
安倍首相は、ことあるごとに「この国のために」と叫んでいます。
今年の「安倍内閣総理大臣年頭所感」でも、「日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく。その決意を、新年にあたって、新たにしております。」と宣言をしています。
私たち庶民が、日本という国をいつ輝く国にしてくれなどと頼んだのでしょうか。
「日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく」というが、「再び」というからには、以前に「世界の中心で輝いた時代」があったのか、世界の中心だった時代なんてあったのだろうか。それはいつだったのか、聞きたいです。
たしか八紘一宇だとか大東亜共栄圏だとか、世界の中心になるんだと妄想して、この国の民を塗炭の苦しみに落とし込んだ時代がありましたが、まさか、まさか。

アベノミクス解散とアベノミクスの正体  小榑雅章

 今日、11月21日、衆議院は解散した。
 安倍晋三首相は解散を受けて記者会見し、今回の解散は「アベノミクス解散だ」とし、アベノミクスを進めるかどうかを争点に選挙を行う考えを示した。
 安倍首相は、ことあるごとにアベノミクスの成果として、株価の上昇と企業の業績がすごいことを誇示する。
 その企業業績について、昨日20日の東京新聞の記事は、刮目するに値する。
 「大企業にも広がる格差 上位30社で利益の半分」という記事である。
 記事の一部を引用すると、
 「上場企業約1380社の本年度上半期(4~9月)の最終的な利益が14兆3070億円になり、過去最高を記録した。だが、半分の7兆円はトヨタ自動車や三菱UFJフィナンシャル・グループなど全体の2%程度にすぎない上位30社で占めている。中小企業の景況感は一向に回復しないうえ、大企業の中でも業種や円安の恩恵の有無で業績の格差は広がっている。」
 東証一部上場企業は1841社あるが、三月期決算企業で、すでに決算発表を行った1380社の中間決算を集計した記事である。
 東証一部上場企業の1380社のうちのたった2%の上位30社で、利益の半分の7兆円を専有している、これがアベノミクスの実情だということを、この記事は語っている。まことにわかりやすい。富がいかに一部に偏在しているかがよくわかる。
 ましてこの利潤は、国民の暮らしとは全く関係のない企業の懐にとどまっているお金である。アベノミクスの成果を問う「アベノミクス解散だ」と安倍さんがいうのなら、この数字は投票の大きな判断材料になるだろう。
 この記事でもう一つ注目すべきは、東京電力が上位30社のうちの第7位に登場し、2901億円の純利益を上げているという事実だ。
 あの大惨事を引き起こし、とうに倒産しているような会社が、なぜ3千億円近い利益が上げられるのか。えっつ、全く理解できない。国から何兆円も支援を受けて、しかも燃料代がかかるといって8.46%も電気代を値上げして国民を泣かしている企業がどうして儲けが日本大企業の堂々第7位なの? 
 不確かな記憶だが、去年、国が肩代わりした除染費用を返さずに、環境庁から督促されており、それでも返さずに居直っているので、会計検査院から300億円返還しろと催促されたのではなかったのか。
そんな東京電力が、なんで2901億円も純利益があるのだ。
 これは、不可思議ではなく、怒りだ。

3.10と3.11  小榑雅章

 東日本大震災から、3年経つ。3.11は私たち日本国民にとって、忘れえぬつらい日にちである。
 そして、その1日前の今日3.10も、決して忘れてはならない日であることを、あえて言いたい。
 69年前の今日、1945年3月10日未明、東京は火の海と化した。300機もの米軍爆撃機B29による東京大空襲である。この空襲によって罹災者は100万人を越え、死者は10万人を越えた。
 この時、筆者は東京市芝区新橋で罹災した。父親は召集され二等兵として戦地に赴いており、姉と弟は親類に疎開していて、家には満7歳、国民学校1年生の筆者と母親の二人だけだった。
 敵機襲来のサイレンは毎日のように鳴り響いていた。恐るべき焼夷弾の攻撃がいつあるかもしれず、母親に厳しく言われて、空襲に備え、毎晩、寝巻には着替えずにズボンを穿いたまま眠った。枕元に教科書を詰めたランドセルと防空頭巾を置き、いつでも飛び出せるように準備をさせられていた。3月9日の夜もそうした準備をして眠った。
 どれほど眠ったのだろうか、突然強くゆり動かされた。「起きなさい、早く起きなさい、空襲空襲!」
 眠かった、とても眠かった。しかし、無理やり引きずり起こされて、家の外へ出ると、100メートルほど離れた大通りの歩道に掘られた防空壕に連れて行かれた。かねて空襲になったらここへ入るんだといわれていたその防空壕の中には、もう7,8人はいただろうか、薄暗いロウソクの光で、顔見知りの足の悪いおばさんと小さな女の子の姿が見えた。
 母は、「ここから絶対に出たらダメだよ、じっとしているんだよ」と言ってすぐにどこかに行ってしまった。町内のおじいさんが、「坊主、ここは大丈夫だ、ここは防空壕だからな、爆弾が落ちても大丈夫なんだ」と何度も怒鳴っていた。なるほど、ここは、大丈夫なのだ、と思った。
 どれほど時が経ったか。入口の戸が開いて、母親が私を叫ぶように呼んだ。「早くおいで、早く出るんだ」
 私は、ここなら大丈夫なのに、なぜ出るのかと思ったが、急いで母のもとに行った。外はなぜか明るかった。母に引っ張られて、急いで家に戻ると、もうすぐ隣の家が燃えている。家の前に家財道具を積んだリヤカーがあり、鬼のような顔をした母は、さらに家から幾つかの荷物を持ち出して積んだ。火はすでに我が家に燃え移り、あちこち燃えはじめた。
 「うちが燃えちゃうよー」と私は泣き叫んだ。
 母はこれ以上の荷物は諦めて、リヤカーを引っ張り、私が後を押した。
火の粉が降りかかり、防空頭巾が燃えだした。あわてて頭巾を脱ぎ、叩いたり踏みつけたりして消して、またかぶった。
 リヤカーは重く、必死の母は、もっと押せ、がんばってもっと押してくれ、と叫んだ。後ろから火の粉が追いかけてきた。
 この夜は、強風が吹いていて火はどこまでも広がっていった。みんな風上へ風上へ逃げていた。逃げていく先も燃えていたが、それでも火の中を風上へ進んだ。
 向かい風が強く、息ができなかった苦しかった。「苦しいよ、息ができないよー」と叫んだが、母は止まらなかった。リヤカーを放棄したらもっと楽なのにと思ったが、母は歯を食いしばってリヤカーを引き続けた。
 どれほど行ったのか、くたびれ果て寒くてもうどうにもならなくなったとき、夜がしらじらと明けて、リヤカーは止まった。母が言った。「生き延びた」。
 防空頭巾の外側は焼けて真っ黒。服のあちこちも焼け焦げていた。
 知らない町だった。見ず知らずの空家の商店があった。疎開して誰もいない空家だ。そこへリヤカーと私を押し込むと、気丈な母は、「お前は男なのだから、一人でも大丈夫だね。母さんはもう一度、家がどうなっているか見てくるから、ここで待っていなさい」と言うなり、取って返して戻っていった。
 あたりには、避難してきた人々がたくさんいた。誰もが自分のいのちを長らえるのに一生懸命で、坊主が一人でいても見向きもしなかった。
 一体どのくらいの時が経ったか分からないが、疲れきった母がおにぎりと水筒をもって戻ってきた。
 そして言った。「家は全部燃えた。取り出せるものは何もない。」
 そして、私を抱きしめた。「あの防空壕から連れ出して良かった。あの中にいた人たちは、みんな焼け死んだ。防空壕もみんな燃えちゃった」
 足の悪いおばさんも女の子も、おじいさんも、みんな死んだ。
 この無差別な空襲で、10万人以上の人が亡くなったのだ。
 3月10日。3.10。
 私は、忘れない。忘れられない。

宇治敏彦著「実写 1955年体制」  小榑雅章

実写1955年体制
「実写 1955年体制」宇治敏彦著 第一法規発行 2500円(税別)

参議院選挙も終わり、安倍首相は得意満面です。しかし内心はどんな思いなのでしょうか。難問山積、一国のリーダーとして、これから大変ですよ。歴代の首相たちも、一喜一憂、得意から失意へ、握手から闘争へ。みんな苦労をしてきたのですよ。
このブログ「雑誌埴輪」の同人、宇治敏彦が「実写 1955年体制」という本を、第一法規から出版しました。早速、その本を読んでみたら、これがじつにおもしろい。日本政治の裏面史というか舞台裏というか、歴代の首相や著名な政治家、労働界のリーダーなどの乙にすました表舞台とは異なった実像が、どれも具体的に語られているのです。「実写」と銘打っているのも、むべなるかなで、すべてが宇治自身が現場で実感し体験した事象を、自身の記録と記憶に基いて、実写されているのです。
宇治が、いかなることを意図してこの本を書こうとしたか、序章の一部を以下に抜粋してみましょう。
「一九五五年当時の第五四代首相・鳩山一郎から一九九三年の第七八代首相・宮澤喜一に至るまで一五人の内閣総理大臣による三八年間の自民党一党支配時代は、私たち日本人にとってどんな時代であったのか、それを政治記者として取材し、現在も“後期高齢者”の一員でありながら特任論説委員として社説を書いている五〇年余の現役ジャーナリストとしての眼も、資料、記憶から再現して、戦後日本の中でも力強い日々であった『五五年体制』の光と影を再現してみたいというのが筆者の思いである。」
ところで、いま、若い人に「55年体制」って知っている?と聞くと、それなんですか、聞いたことがない、と聞き返されました。
「55年体制」について、宇治は、次のように説明しています。
・・・東西冷戦(米ソ対立)、イデオロギー対立(資本主義対社会主義)が五五体制の大きな特徴だった。…日本国内で五五体制を特徴づけるキーワードないしは流行語を拾い上げると、「日本株式会社」「タカ派、ハト派」「総資本対総労働」「社会党・総評ブロック」「昔陸軍、今総評」「政治は三流、経済は一流」「政界一寸先は闇」「鉄の三角同盟(アイアン・トライアングル)「族議員」「行政指導」「護送船団方式」「一内閣一仕事」「もはや戦後ではない」「神武景気」「総中流」「みんなで渡ればこわくない」などを列記できよう。いずれも五五年体制の断面を見事に象徴している表現と思う。…
ここで、宇治がキーワードないしは流行語としてあげた事象のほとんどが、この「実写 1955年体制」の中で取り上げられ、その意味や内幕が生き生きと語られています。政治というのは、私たち庶民とかけ離れた白亜の議事堂の中で行なわれている別世界のできごとのようですが、この本を読むと、政治家の先生方も私たちと同じちょぼちょぼの人間で、悩み苦しみ、のたうちまわっていることも、よく分かりました。
おなじ埴輪同人の私が、いい本だ、面白い、と仲間を褒めそやすのは、それこそあまりほめられることではないのですが、本当に面白かったので、あえて紹介をさせていただきました。ご海容賜りますように。

富士山の眺めは三保の松原だけではない 小榑雅章

20100211富士山
今日7月1日は富士山の山開きで大変賑わっているという。富士山が世界遺産に認定されたからだそうだが、一時拒否されそうだった三保の松原も加えられて、ご同慶のいたりである。
ところで、富士山の眺めは床の間に掛け軸をかけ、三保という座敷から眺めるだけではない。3年半ほど前に、上の写真とともに下記の記事を別のところに書いたが、世界中から神聖なる富士山に憧れてやってくる人々に、下記のような感想をもってもらいたくないなあ、と思って再掲させていただく。

富士山は美しい。
とくに今頃の富士山は美しい。
冠雪した富士は神々しいばかりの美しさだ。
日本の宝である。
日本を一つのことで表現しなさいと言われたら、いろいろ考えられるだろうが、筆者は富士山を上げる。人間がどんなにがんばっても、富士山を作ることは出来ない。世界には似たような山はあるが、これほど美しい山は二つとない。天がこの日本に富士山を与えてくださったと思う。
よく晴れた冬の朝、東京から新幹線に乗る。新丹那トンネルをぬけて三島を過ぎると、次第に富士山は姿を現してくる。隣に座って新聞を読んでいる見ず知らずの外人に、下手な英語で、ほら、富士山が見えるよ、きょうは晴れていてよく見える、あなたはラッキーだ、と語りかけると、オーオー、マウント富士すばらしい、と喜んでいる。筆者もうれしくなって、どうだ、これが日本の誇る富士山だぞ、と胸をそらす。
すると、その外人が、オーマイ・ガッド!と顔を顰めた。何でだ、何がオーマイ・ガッドなのだ。富士山はみごとに美しいではないか。
すると、お前にはこの煙突が見えないのか、この煙は何だ、折角すばらしい自然の造形物に見惚れているのに、林立する煙突が、なんで邪魔をするのだ。この国は、発展途上国なのか、自然を大事にする国ではないのか、と言って、悲しげに両手を広げた。
新幹線はいつの間にか新富士駅を過ぎ、富士川を渡って、富士山は姿を消していた。
新富士駅のあたりの富士市は、昔から和紙づくりの盛んな地域である。富士山の豊富な水は紙をすくのに適していたのが由来だそうだが、大正時代から本格的な製紙工場が出来てきたという。だから現在も、多くの製紙工場がこの地域で活動し、日夜エントツから煙を上げている、というのは当然の風景だと思っていた。
しかし、この外人の見方は違っていた。
日本は、第二次産業の国なのか。日本は観光立国だと聞いたが違うのか。日本といえば富士山だ。富士山は世界中のどこにもないすばらしい観光資源だ。その大事な目玉をなんで煙突で汚すのだ。製紙工場は人間の作ったことだから、やめることも移すことも出来る。しかし富士山は創ることも移すことも出来ない。日本は観光立国だと言うのなら、この最も美しく富士山の見える地域から、煙突をなくすぐらいのことをやるべきだ、とその外人は主張した。
そんな無茶な、と言いかけたが、待てよ、なるほど、そういう考えもあるのかな、もぐもぐと口ごもって、筆者は寝たふりをした。

丸谷才一さんからの最後の手紙  小榑雅章

丸谷さん手紙_convert_20121126225425

明日、11月27日の夜、帝国ホテルで丸谷さんのお別れ会が開かれる。
1年前の12月1日の夜は、同じ帝国ホテルで文化勲章受章のお祝い会だったのに、今度はなんでお別れ会になってしまうのか。かなしい。
「そんなに、もっともらしく悲しんでくれなくてもいいんだよ、もう十分に生きたからね」と、丸谷さんは言われるだろうな。
10月13日に亡くなられたのだが、そのひと月ほどまえの9月6日に、丸谷さんからお手紙をいただいた。(上掲)
いつもは手書きの文章が、めずらしくワープロなので、おやっと思って読む。個人的な私信ではなく、知人たちに送った手紙なので、以下に転載させていただく。

拝呈
 前書きその他挨拶めいたことはすべて抜きにして、近況について
報告いたします。
わたしはこの一月に、心不全になり、二月にNTT病院でステント、
四月に金沢大学病院でハイパスの手術を受け、心臓のほうはうまく
行つたのですが、これと相前後して腎孟癌が見つかりました。いろ
いろな条件から、手術その他はむづかしいやうです。余命は数ヶ月
から数年とのこと。それで、家に帰つて、原稿を書いたり、本を読
んだり、残務整理めいたことをしたりしてゐます。
 これだけ生きればもう十分だといふのが今の気持の大部分です。
長いあひだいろいろありがたう。
 平安を祈る。
                                   頓首

文化勲章受章のお祝いにご自宅を訪ねたとき、先生はお一人で、話し相手がほしかったのか、2時間近くも話してくれた。アップルのジョブズの「デザインは美しくなければならない」という思い。ああでなければだめだよ。日本の町には美しくないデザインがありすぎる。君はJRという文字のデザインをどう思う。あれは美しくない。品がないよ。
それに比べれば、JTBはまだマシだ。もっとも和田誠さんにそういったら、JTBも悪いとたしなめられたよ、と言ってあははは、と笑っていた。
のどがかわいたなと言って、ご自分で冷蔵庫からアイスクリームを出してきてくれて、ふたりで食べた。うまかったな。
先生、やっぱり、さびしいです。



国会事故調にみる美しき?日本文化と新聞の責任  小榑雅章

7月11日に行われた五輪壮行試合と銘打った対ニュージーランド戦の男子サッカーは、1対1の引き分けに終わった。後半26分に先制点を上げながら、終了間際に味方のミスで同点にされてしまった。この試合で、縦横無尽に活躍をした清武弘嗣選手は、試合後「決めるところで決めないと、最後こうなる。点が入らないとしようがない。全員のせい」と悔しさをあらわにしたという。(スポニチ)
別の記事では「試合終了間際の失点で引き分け、ボールを奪われた村松に詰め寄るGK権田」という記述もある。失点の発端は村松がボールを奪われた結果、カウンターを受けた日本は、同点に追いつかれてしまったのだった。
だが、清武は「全員のせい」と言い、権田も「ミスをせめて怒ったのではない」とかばった。
美しきかな、個人の責任は問わない日本の文化! 
ところで、この美しい?日本の文化が問題になっている。
福島第一原発事故を調査する国会事故調査委員会の最終報告書が7月6日に出されたが、その英語版の報告書の冒頭にあるMessage from the Chairmanの中で、黒川委員長が、あの大事故大災害は"Made in Japan."であり、「その根本的原因は日本の文化のしみついた慣習」にある、と記述したからである。
What must be admitted . very painfully . is that this was a disaster "Made in Japan." Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture:
そして、その染みついた慣習の例として「われわれの反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」「集団主義」「島国根性」などをあげている。
この英文のメッセージを読んだ外国の特派員たちは、早速「原発事故の責任を、日本特有の文化のせいにするな」という記事を書いて発信した。
その一つ、フィナンシャルタイムスのMure Dickie記者はBeware post-crisis ‘Made in Japan’ labelsという記事を書いているが、その中で、次のように記述している。
「福島第一原発の事故を文化的な文脈で説明しようとするのは、本当に危険だ。」
Yet there are real risks to explaining the Fukushima Daiichi crisis in cultural terms.
「文化に極度に注目しすぎると、あの事故につながる決定を実際に下した組織や個人の責任がどこかにとんでしまいかねない。」
Focusing too heavily on culture could merely shift responsibility from the institutions and individuals that actually took the decisions that led to disaster.
事故の原因を「日本文化のせい」だとすると、上述の日本サッカーチームのように個人の責任は問わず、清武選手のいう「全員のせい」になってしまうことと、共通しているように思える。
黒川委員長が、「根本的原因は日本の文化のしみついた慣習」にあるという記述は英文だけで、日本語の報告にはなかったので、日本の新聞各紙には、この日本文化原罪論は登場していない。もし、日本語の報告にもこの記述があったら、当然問題視していた、という言い訳めいた論述が見られる。
しかし、文化論は登場しなくても、「われわれの反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」からきた「根本の責任を追及しない大甘の体質」は、日本の大新聞の特性ではないか。
国会事故調の報告書の発表を受けて、各紙社説は論評しているので、それを見てみたい。
朝日新聞
  …事故は「人災」である。国会の事故調査委員会(黒川清委員長)がそう結論づけた。
  根本的な原因が政界・官僚・事業者が一体となった原発推進構造と責任感の欠如にある
  という認識は、私たちも同じだ。…
東京新聞
  ・・・事故は東電や政府による「人災」と断じた。原発規制の枠組み見直しは急務だ。
  個々人の資質や能力の問題でなく、組織的、制度的な問題が、このような『人災』を引
  き起こした。この根本原因の解決なくして再発防止は不可能である。…
毎日新聞
  事故は自然災害ではなく「人災」だ。事前に対策を立てる機会が何度もあったのに実行
  されなかった。根本的原因は、日本の高度経済成長期にまでさかのぼった政府、規制当
  局、事業者が一体となった原子力推進体制と、人々の命と社会を守るという責任感の欠
  如にあった−−。
読売新聞
  国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会が、報告書で「事故は自然災害ではな
  「人災」と結論づけた。
   政府と東電は、厳しく受け止めるべきだ。重大事故は起こらないという「安全神話」と
   決別し、原発の安全性向上に全力を挙げねばならない。
どの新聞も、国会事故調の報告書をなぞっているのだから、どこも同じような記述になるのは当然だろう。しかし、「事故は人災」だと断じている。にもかかわらず、どの新聞も根本的な原因が「政界・官僚・事業者」とか「政府、規制当局、事業者」、「政府と東電」というとらえどころのない組織や制度を指さしているのはどうしたことか。これでは日本文化論とまったく同じではないか。
「事故は人災」というなら、「それは誰なんだ」「どこの役所の誰に責任なんだ」「東電のどの社長の責任なんだ」「原子力安全委員会の誰なんだ」と追及するべきではないのか。
大新聞の論説担当者は、事故調の報告書をうのみにする「反射的な従順さ」「権威に対して問いたださない姿勢」という黒川委員長のいう日本文化そのものではないか。
「事故は人災」という意見に同調するなら、それをオウム返しになぞるだけではなく、個人の責任の追及にまで行かなければ、原子力事故を文化のせいにするな、個人の責任をうやむやにしては、原子力事故はまた起こる、という外国の論調の方が、正論だと思えてならない。
太平洋戦争の一億総ざんげみたいな無責任な結論は、もうたくさんだ。

安保闘争と「依ってきたる所以」そして花森安治 小榑雅章

いまから52年前、1960年5月、6月の日本は騒然としていた。
国論を二分する日米安全保障条約改定の新条約案が、5月19日に衆議院の特別委員会で、警察官の力を借りて強行採決された。翌20日には衆議院を通過したが、これには与党自民党の中からも強い反対の声が上がり、石橋湛山や河野一郎、三木武夫などが欠席や棄権をした。
アメリカのアイゼンハワー大統領が6月19日に来日する予定なので、それまでに新条約を承認しておきたいためのきわめて強引な強行採決だった。
市民の間でも、在日米軍とその基地の固定化正当化を意図する新安保条約に反対の世論は強く、くりかえし反対デモが行われていたが、この強行採決は「民主主義を破壊するものだ」と、さらに激しい反対運動が連日繰り広げられた。何事にもことなかれ、長いものには巻かれろ主義の日本人にはきわめて稀な、多くの国民をまきこんだ激しい闘争行動であった。
そして、6月15日夕刻、「国会請願デモに押し掛けた全学連主流派約七千人は衆議院南通用門に殺到、門にツナをかけてこじあけるなど再三国会構内へ突入をはかり、これを阻止する警官と乱闘した。」…「午後五時廿分ごろ参院第二通用門を埋めていた全学連主流、同反主流と国民会議神奈川県代表などのデモ隊に維新行動隊のノボリをたてた右翼の車が突っこみ、大乱闘となった。この二つの乱闘事件で、十六日午前零分半現在東京消防庁の調べによると、東大文科四年生、樺美智子さん(二二)が死亡、病院で手当てをうけた重軽傷者四百八十一人、このほか多数の負傷者があるみこみである。(6月16日朝日新聞朝刊1面)
この日の反対行動は東京の国会周辺だけでなく、全国で行われていた。
「警察庁の調べによると、全国の状況はつぎの通り。生産点の職場大会とストは全国の一万百九カ所で行なわれ、六十四万九千人がこれに参加した。また集会は五百十八カ所、四十四万七千人。デモ五百カ所、四十一万三千人が各所で行なわれたが、東京を除いては比較的平穏だった。」(同紙同頁)
この結果、アイゼンハワー大統領の来日は中止になった。
7社共同宣言
問題は、6月17日付の朝刊各紙に掲載された7社共同宣言である。
「暴力を排し、議会主義を守れ」と大書した共同宣言は「六月十五日夜の国会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以は別として、議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。われわれは、日本の将来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。/民主主義は言論を以て争われるべきものである。その理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力を用いて事を運ばんとすることは、断じて許されるべきではない。…」と続く。そして最後に「ここにわれわれは、政府与党と野党が、国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し、今日国民が抱く常ならざる憂慮を除き去ることを心から訴えるものである。」と結ぶ。
とにかく暴力はよくない。なんでもいいから、とにかく暴力はやめて議会にもどれ、議会主義を守れ、というのである。
もっともらしい言説だ。
この共同宣言をみて、花森安治さんは怒った。
「新聞は、相撲の行司ではない。新聞はジャーナリズムだ。その新聞が<その事の依ってきたる所以は別として>とは何ごとか。<依ってきたる所以>こそ、ジャーナリストにとって最も重要なことで、新聞の追求すべき最大の使命ではないか。それを<別として>、何をしようというのか」
花森さんは、大声でどなるかと思ったが、むしろ静かにつぶやくように、怒りを吐き出していた。
連日の安保闘争の報道に、暮しの手帖の編集部もおちおちしておられず、みな夜も寝不足になっていた。
花森さんに「デモに行きたい」と私が申し出ると、「君は暮しの手帖の編集者だ、馬鹿なことを言うな、いまは仕事に専念しろ、もし、本当に必要だという事態になったら、デモではなくて、暮しの手帖の誌面で闘うのだ。その時は、<依ってきたる所以>を初めから終わりまで全頁全誌面をさいて検証し、自分たちの主張をして闘うのだ」
それを聞いて、からだがカーッと熱くなった。
それから半世紀。新聞の軌跡をみるにつけ、<その事の依ってきたる所以は別として>と宣言したあの時に、新聞はジャーナリズムとしての使命を見失ったのではないか、という気がしてならない。


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ブログ雑誌埴輪へようこそ!
埴輪同人 宇治敏彦・小榑雅章
連絡先
 magazinehaniwa@yahoo.co.jp

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